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被災地議員が語る福島の復興

2020 . 10 . 21
▼発災当初、野党だった公明党は民主党政権を動かし、避難所の物資支援や子ども医療費無料化などリード
▼現場第一主義で福島復興に全力。JR常磐線の全面開通へ線路内まで徹底的に調査
▼来年で大震災から10年。福島再生を進め、最後の一人が立ち上がるまで闘う

1、生まれも育ちも東北人から見た復興

 

「3.11」―東日本大震災と

東京電力福島第1原発事故から

9年半が過ぎました。

 

原発事故によって故郷を追われ、

避難先で病気を患ったご婦人から言われた

「生きている間に故郷に帰りたい」

という言葉が脳裏から離れません。

今もなお、多くの方々が

避難生活を余儀なくされています。

 

今回は、生まれも育ちも東北人であり、

発災当時は党職員として、

以降今日までの9年半を国会議員秘書、

衆議院議員、そして、県会議員として

被災現場に向き合い続けてきた

自身の経験を踏まえ、復興の歩みと現状、

そして、公明党の奮闘を紹介したいと思います。

 

2011年3月11日。

当時、私は党職員として

福島県郡山市内にある

党福島県本部で仕事をしていました。

 

午後2時46分。

これまで感じたことのない、

大きな揺れに見舞われました。

 

幸いにも、建物の倒壊などは免れましたが、

水道も止まり、

県本部内のロッカーなどが倒れ書類は散乱。

 

電話やネットは通じず、

安否確認も思うようにできない。

 

そして、テレビ画面に映し出される

変わり果てた愛する東北の景色。

 

さらには、東京電力福島第一原発の事故。

 

現場一帯が混乱の渦中にある中、

県本部に泊まり込み、議員と連携をとりながら、

県内の被災状況の掌握、被災者の救助体制の確立、

避難所への救援物資供給など、

様々な対応にあたりました。

 

特に、原発事故に伴う避難指示や

屋内退避指示によって、

怒号の飛び交う救援要請や

安否確認など昼夜を問わず、

次々と鳴り響く電話対応に追われました。

 

市中から物資が無くなり、

食料を確保することもままならず、

また、放射能の恐怖におびえる友人を

他県に避難させる手伝いをしたこともありました。

 

あの日を境に、私の生まれ育った東北は一変し、

深い喪失感に包まれました。

 

発災当時は民主党政権下。

 

公明党は野党でしたが、

国会議員と地方議員が連携し、

ただひたすらに被災者の声を国に届け、

必要な物資を届けるなど、

初動対応が緩慢な政府を突き動かし、

次々と政策を実現。

そうした活動の裏には、

経験したことのない試練を前に、

自ら被災しながらも徹して現場を駆け回る

地方議員の姿がありました。

 

まさに、「大衆とともに」の立党精神を

体現する姿そのものでした。

 

その後、2012年12月、

自民、公明両党が政権を奪還。

一気に復興への歩みが進みました。

 

発災当時、福島県には

公明党の国会議員がおらず、

公明党のネットワークで

被災者の声は届けられていたものの、やはり、

地元から声を発していかなければならない。

そんな思いから国政への挑戦を決意しました。

 

2014年12月の衆院選で、

比例東北ブロックに出馬し初当選。

17年10月衆院選で落選するまでの約2年9カ月、

国政の場で、福島の復興に取り組みました。

その後も復興への思いは変わらず、

19年11月10日の県議選に当選後は、

これまで培った経験を生かし、日々、

被災されたお一人お一人からお声を頂戴しています。

 

それでも、すべての声に

十分にお応えできた訳ではありません。

 

双葉町から避難されているある方は、

ご自宅が中間貯蔵施設の用地となり、

故郷を追われなければならないこと、

一向に復興が進まないことに

憤怒の声を幾度となく寄せてくださいました。

 

一番苦しんでいる当事者の声に

なかなか応えられないことに

悔しい思いをしたこともありました。

 

それでも寄り添い続け、

でき得るサポートを続ける中、

その方は昨年、故郷に戻る思いに区切りをつけ、

新しい生活に踏み出しました。

 

故郷での生活をあきらめることに

相当な葛藤があったことは言うまでもなく、

私自身のサポートも本当に適切であったのか

自問自答がありましたが、

「ありがとうございました」

との感謝の言葉をいただいた時に、

復興に立ちはだかる壁がいかに高くとも、

寄り添い続けることが大事であることを実感しました。

 

 

2、野党でも変わらない公明党の実現力

 

公明党の被災地に寄り添い続ける姿勢は一貫しています。

 

発災当時、公明党は野党でしたが、

与野党の垣根を越えて復興に総力を挙げてきました。

 

2012年に成立した福島復興再生特別措置法は、

まさに公明党が

法の立案から条文作成までをリードした法案でした。

 

この特措法は、福島復興に不可欠として、

公明党が立案を政府に働き掛けたものです。

党内で検討した特別立法の骨格を提言し、

政府の福島特措法の当初案には

公明党の主張の7割が盛り込まれ、

その後の民主、自民、公明党の3党協議で

大幅修正して9割以上が反映されて成立。

 

具体的には、

法律の目的に福島復興に対する

「国の社会的な責任」を明確化し、

基本理念には、

「人間の復興」の精神を明記しています。

 

この法案を成立する過程で

大きな論点になったのが

「18歳以下の子ども医療費無償化」です。

 

当時、福島県では、

原発事故に伴う子どもの健康不安が

暗い影を落としていました。

 

その不安を払拭するため県は、

「18歳以下の子どもの医療費無償化」

を検討していましたが、

その財源が大きな課題となり、

国に財政支援を要望していました。

 

しかし、民主党政権は当初、医療費無償化は

「税の公平性を欠く」などとして、

国による支援を見送る方針でした。

 

現場の窮状に疎い政府の姿勢に対し、

公明党は知恵を絞り、

県が県民の被曝影響や健康調査等に

行うために創設する「福島県民健康管理基金」に

国が財政措置を講じることを提案。

 

政府はこれを受け入れ、

福島県の判断で同基金を

医療費に充てられるようになり、

18歳以下の医療費無償化を

長期的な施策として開始することができたのです。

 

現在、その財源枠組みは変わっていますが、

佐藤雄平福島県知事(当時)からも

「子どもを産み育てやすい環境づくりへの

国の財政支援(に向けた枠組み)も作っていただいた」

と公明党を評価する声が寄せられました。

 

 

3、JR常磐線の全面開通へ、線路内まで徹底調査

 

公明党は常に現場第一主義で

福島の復興に取り組んできました。

 

その一つが、JR常磐線の全線開通です。

新型コロナウイルスの影響で

式典は縮小されましたが、本年3月14日、

赤羽一嘉国土交通大臣を迎え、開通式が行われました。

 

JR常磐線の全線開通は

浜通り地域の強い願いであり、早期開通に向けて、

国と地元自治体、JR東日本で構成する

「浜通りの復興に向けたJR常磐線復旧促進協議会」

において協議されていました。

 

この協議会は、太田昭宏国土交通相(当時)

の指示を受け設置されたものでした。

特に、帰還困難区域を含む

高線量地域の復旧や除染が課題でした。

 

公明党は2015年6月、

井上義久衆院議員(党東日本大震災復興加速化本部長)を中心に、

線路や橋梁などの状況を調査するため

福島県富岡町、大熊町、双葉町、浪江町内を視察し、

私も同行しました。

 

草木をかき分けて

放射線量が高かった線路内まで調査しました。

 

JR常磐線の全線開通に向け、大野―双葉間の線路の状況を調査する党復興加速化本部の井上義久本部長(右から3人目)、真山祐一氏(左隣)ら=2015年6月28日 福島・大熊町
JR常磐線の全線開通に向け、大野―双葉間の線路の状況を調査する党復興加速化本部の井上義久本部長(右から3人目)、真山祐一氏(左隣)ら=2015年6月28日 福島・大熊町

 

調査結果を踏まえ、復旧や除染が可能と判断し、

関係省庁やJR東日本に対し、

全線開通に向けた協議を

加速させるよう要望しました。

 

その後、JR東日本は不通が続く

富岡(福島県富岡町)―浪江(同浪江町)間における

除染試験を実施する方針を明らかにしました。

 

私も、2016年2月の衆議院予算委員会で、

JR常磐線の全線開通を

安倍晋三内閣総理大臣(当時)に直接訴えました。

 

そして、同年3月、

JR常磐線を2019年度末までに

全線開通させる方針が正式に決定したのです。

 

 

4、「原発の福島」から「再エネの福島」へ

 

福島県は2012年に

「福島県再生可能エネルギー推進ビジョン」を改訂し、

2040年頃を目途に

県内のエネルギー需要量の100%に相当する

エネルギーを再生可能エネルギーで生み出す

「再生可能エネルギー先駆けの地」を

目指すことを決定しました。

 

国の固定価格買取制度(FIT)が追い風となり、

再エネの導入が大きく進むものの、

目標の達成には長い道のりでありました。

 

原発で苦しんだ福島だからこそ、

再エネ先駆けの地を実現しなくてはならない。

 

2013年に参議院議員選挙に当選した

若松謙維議員の秘書となった私は、

若松議員とともに県内外の再エネの導入状況や

施策などの調査を行うとともに、

政府に提案する政策づくりに携わらせていただきました。

 

その提言は、

再エネの導入支援と次世代エネルギーである

水素社会の実現を大きな柱とし、

2015年には

『福島再エネ100%イノベーション

―原子力社会から水素社会へ―』

という著書にまとめられました。

 

2015年4月、

参議院予算委員会において

若松議員がこの主張を安倍総理に直接訴えました。

 

提言を受け、2018年には、

政府として「再生可能エネルギーの導入拡大」、

「水素社会実現に向けたモデル構築」、

「スマートコミュニティの構築」を柱とする

「福島新エネ社会構想」を取りまとめ、

福島の「再生可能エネルギー先駆けの地」を

目指す取組みが大きく進むことになりました。

 

また、CO2ゼロの次世代エネルギーとして

期待される水素の利活用が

主要施策として盛り込まれ、

浪江町に世界最大級の水素製造拠点となる

「福島水素エネルギー研究フィールド」が設置されました。

 

私が住むいわき市では、民間事業者が主導し、

水素供給拠点となる

「いわき鹿島水素ステーション」が開所しました。

 

国の他に県や市も独自に補助制度を設け、

燃料電池車の導入も進んでいます。

現在、水素供給ネットワークの拡大や

水素利活用の実証モデル構築、

基盤となる蓄電池産業の集積など、

「福島新エネ社会構想」のさらなる具体化に向けて、

国とのパイプ役になって取り組みを進めています。

 

 

5、最後の一人が立ち上がるまで寄り添う

 

来年3月には、

東日本大震災及び原発事故から

10年という大きな節目を迎えます。

 

先般、自民党と公明党による

与党第9次提言が提出されました。

これには、福島復興の次の10年に向けた

重要な提言が盛り込まれています。

 

与党の復興加速化本部として安倍晋三首相(当時、右から4人目)に第9次提言を申し入れる公明党の井上義久副代表(左から3人目)ら=2020年9月9日 首相官邸
与党の復興加速化本部として安倍晋三首相(当時、右から4人目)に第9次提言を申し入れる公明党の井上義久副代表(左から3人目)ら=2020年9月9日 首相官邸

 

主な提言の一つが、

新産業の創出につながる研究開発・人材育成の

司令塔となる「国際教育研究拠点」の設置です。

 

浜通り地域にとって、

福島の未来を担う子どもたちの教育の場として

期待されており、早期に実現を望むものです。

 

二つ目が、特定復興再生拠点外の

帰還困難区域に自宅を持つ、避難者の生活再建です。

 

同区域では家を解体することができないため、

自宅の解体が要件にある

被災者生活再建支援制度が

利用できない場合があります。

 

「とにかく早く方向性を示してほしい」という

避難者の切実な声に応えていかなければなりません。

 

また、東京電力福島第一原発で保管されている

放射性物質トリチウムを含む

処理水の問題も避けて通れない課題です。

 

保管タンクの増設に限界が来ているため、

早急な取り扱い方針の決定が必要ですが、

本格操業に向かう漁業者を始め、

新たな風評を生み出すようなことが

決してあってはなりません。

 

発災から9年半を超えた、これまでの年月。

復興は着実に進むものの、

地域によって復興の進捗は異なり、

被災者が抱える悩みや課題は一層、

個別化、複雑化しています。

一人一人に焦点を当てた支援が

一層不可欠となっています。

 

だからこそ、現場にいるわれわれ地元議員の使命は

より重みを増していると痛感しています。

 

全ての被災者が心の復興を成し遂げる日まで、

一人一人に寄り添い続けていく決意です。

 

2015年3月、公明党は

「公明党復興加速化決議~新しい東北へ~」

を決議しました。

この中にある一文を

10年の節目を迎えようとする今、

改めて胸に刻みたいと思います。

 

「今、改めて誓う。

被災者一人ひとりの声に耳を傾けることを。

最後の一人が立ち上がるその日まで寄り添うことを」。