「家は大丈夫」。あの日、高校を卒業したばかりの三男・泰寛から来た携帯メールに「迎えに行くから」と返したのが、最後に交わした言葉となってしまいました。
2日後、道なき道をたどり自宅へ向かった夫が息子の亡きがらを見つけました。私を待って逃げ遅れたのでは、と後悔しました。その夜、夫と避難先の体育館で毛布をかぶって声を殺して泣きました。息子が遺体安置所に運ばれてきたのは震災10日目でした。
知人に勧められ、震災体験を話すようになりました。息子の顔写真を財布に入れて、いつも一緒にいますが、背中を押されている気がします。
コロナも自然災害も「ここは大丈夫」「私は大丈夫」ではありません。正しい情報に基づいた行動が自分と大切な家族の命を守る。泰寛が命に代えて教えてくれたことを伝え続けます。(宮城・石巻市在住 62歳)