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ほっとストーリー

石川ひろたかの
「ほっとストーリー」

「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに行われる2025年大阪・関西万博。開催まで3年に迫り、準備が加速している。同万博の誘致に奔走し、成功へ汗を流しているのが石川ひろたか参院議員(参院選予定候補=大阪選挙区)だ。(本文中、敬称略)

希望の光を社会に、世界に25年大阪・関西万博誘致を強力に進める

万博の成功に向け、会場予定地を視察する石川氏(右)

2018年11月24日未明、大阪市内のホテルに設けられたビューイング会場は大歓声と拍手に包まれた。156カ国による投票の結果、25年国際博覧会(万博)の大阪での開催が決定したのだ。同会場で投票結果を見守っていた石川の脳裏には、万博誘致に挑んだ日々が蘇っていた。

「誘致を実現するには国や地元自治体、大阪府民などの力を結集しなければ」。石川は動いた。政府が大阪誘致を始めた16年末から党の大阪府議、大阪市議と手を携え、誘致への取り組みを強力に推進。17年3月22日には参院経済産業委員会で質問に立ち、「インバウンド(訪日客)を増やし、地方創生にも生かせ、日本経済の底上げになる」と力を込めた。政府の強力な後押しを求める訴えに、世耕弘成経産相(当時)からは「万博に向け、政府全体で協力、連携して進めることが必要不可欠だ」との答弁が。

その後、パリで行われたプレゼンテーションでは、安倍晋三首相(同)が賛同を呼び掛けるビデオメッセージを寄せ、経産相がスピーチを行うなど、国を挙げた誘致の取り組みにつながっていった。

石川はメキシコやキューバを訪れ、各国に働き掛ける一方、国内の機運醸成にも奔走する。17年11月、石井啓一国土交通相(同、公明党)に関西・首都圏の空港、鉄道施設での宣伝ポスターの掲示や電子看板の活用強化を要望したことを受け、取り組みが進んだ。また石川と緊密に連携する府議会公明党が提案し府として、全国の小学生から絵を募集する「私の考える万博絵画展」が同年から開催された。

イラクで育んだ平和・復興の誓い

石川が万博誘致を強力に推進した背景には、地元大阪への“恩返し”とともに、「平和の尊さを伝え戦災復興に役立ちたい」との思いがあった。原点は、18年前にさかのぼる。外務省に入省した石川は04年、前年5月に大規模な戦闘が終わった中東のイラク・サマーワにいた。イラク戦争で生活基盤は“崩壊”。石川自身も防弾チョッキを着ての生活を余儀なくされた。

石川の任務は人道復興支援。学校の修復や教員の確保、生活・飲料水の給水などに携わった。「一日も早く現地に平和が訪れ復興の足音が聞こえるように」と汗だくになりながら働く日々。平和な暮らしに一縷の望みをかけて必死に生きる現地の人々の姿を目の当たりにし、「未来へ希望を持てる世界を築きたい」と誓った。だからこそ、英知を結集し地球の豊かな未来社会を描く万博の誘致に情熱を注いだ。

党事務局長として開催の準備を加速

現在、石川は党2025年国際博覧会(大阪・関西万博)推進本部事務局長に就き、150の国と25の国際機関の参加をめざす万博の成功へ、関西圏の交通インフラの整備強化などの取り組みを進める。

そんな中、ある問題が。万博の運営を担う日本国際博覧会協会が会場内の車いす用観覧席の配置などバリアフリーの基準を定めたガイドラインに関し、障がい者の意見を聴かずに策定していたのだ。昨年10月、そのことを石川は憤った。「SDGs(持続可能な開発目標)への貢献をめざす万博が、こんな姿勢では……」と。「『誰一人取り残さない』との精神に立ち返るべきだ」。すぐさま関係当局に見直しを要望。その結果、障がい者も参画する検討会が開かれ、今春にも改正される運びになった。

「希望をもたらす万博を成功させ、大阪を世界に誇れる都市に」。固い決意を胸に石川の挑戦は続く。

対話による国際協調へ

菅官房長官(中央)に、公明党の府・市議らと共に要望する石川氏(右端)ら=17年12月21日 首相官邸

● 各国首脳が集いG20開催

「対話によって多国間の協力関係をつくり出すことが重要」。アラビア語通訳官として歴代首相と要人との会談に同席してきた石川が肌で感じてきたことだ。「国際協調の取り組みを大阪の地で前へ進める」。石川は万博誘致と並行して、20カ国・地域(G20)首脳会議開催にも挑戦した。

地方議員を通じ誘致を大阪府・市の首長に要望し、17年12月には首相官邸を訪れ、菅義偉官房長官(当時)に直接、要請。「大阪は陸海空の交通網が整備され、国際会議を開催できる環境も整っている」と訴えた。菅官房長官から「極めて重く受け止める」との回答を引き出し、翌年4月、閣議で了承されたのだ。

G20首脳会議は19年6月に2日間にわたり開催。日本が初めて議長国を務め、世界共通の課題解決に向けた議論が行われた。不安定な世界情勢の中、SDGsの実施に主導的な役割を果たすことなどを盛り込んだ「G20大阪首脳宣言」を採択。石川の国際協力に懸ける思いが結実した瞬間となった。