大衆とともに前進する「大衆政党」としての船出
公明党は、池田大作創価学会会長(当時)によって創立された。64年11月17日に東京・両国の日大講堂で開かれた結成大会の場内には、「日本の柱公明党」「大衆福祉の公明党」との大スローガンが掲げられた。 党の創立者である池田会長は出席せず、「民衆の幸福のため、日本の安泰のため、世界の平和のために、勇敢に前進されますことを祈っております」との祝電を寄せた。また、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との公明政治連盟第1回全国大会(62年9月13日)で池田会長が示した指針が、立党精神として確認された。 当時、大企業優先の自民党と労働組合中心の社会党とのイデオロギー的対決政治に明け暮れていた中にあって、大衆の手に利益を取り戻すとして起ち上がった”庶民の党”公明党の登場は、硬直的な自社体制に風穴を開け、政界に大いなる新風を吹き込んだ。