悲願の公的救済までの、公明党44年の闘い

1968年に、毒性の高い化学物質が混入した米ぬか油を摂取した人々に、広範な健康被害が発生した「カネミ油症事件」。西日本一帯を中心に、約1万4,000人が苦しんだとされる。  公明党は、油症発覚直後から現場に赴いて調査を進めた。調査結果を基に、国会で再三にわたり被害者救済を迫ったが、政府による救済は遅々として進まなかった。  だが、公明党が連立政権に参画すると、救済への流れが急加速。そして、2012年8月には、坂口力・元厚労相(公明党)が会長を務める超党派の国会議員連盟がまとめた「カネミ油症救済法」が成立。 発覚から44年を経て、ついに悲願の公的救済が成し遂げられた。  そこまでの道のりは険しかった。国側がかたくなに法制化に抵抗したためである。民主党政権時代には、国の抵抗に屈した民主党側が法制化断念の姿勢を示し、法案が宙に浮いた時期もあった。立法化にこぎつけたのは、救済を望む被害者たちに寄り添い続けた、坂口ら公明党議員の執念ゆえである。

【写真】入院中のカネミ油症患者を見舞う公明党議員ら (長崎・五島列島 1972年7月)