辞任覚悟で「控訴せず」貫いた坂口厚労相

かつて、日本でも強制隔離によるハンセン病絶滅政策がとられ、患者たちが人権無視の扱いを受け続けた時代があった。人権侵害の規定を持つ「らい予防法」は、1996年まで廃止されずに残っていたのだ。  その「らい予防法」を巡り、療養所入所者らが起こした違憲国家賠償請求訴訟では、2001年5月11日に熊本地裁で国側敗訴の判決が下った。  その時、厚労省や法務省内では「控訴すべし」の意見が大勢だった。だが、公明党から入閣していた坂口力厚労相は、判決の3日後に原告団と面会し、謝罪を表明。  そして5月23日、坂口は辞表をポケットに忍ばせて官邸に向かい、「控訴には絶対に反対です」と述べた。辞任覚悟での気迫の言葉が、小泉純一郎首相の心を動かした。その日のうちに、「控訴せず」の政府決定が発表されたのだ。  翌6月にはハンセン病補償法が成立。そして、翌02年には遺族や非入所者との和解が成立し、ハンセン病問題の司法上の全面解決が成し遂げられた。

【写真】ハンセン病訴訟の原告団に対して「心からおわび申し上げたい」と述べ、深々と頭を下げる坂口力厚労相 (厚生労働省大臣室 2001年6月1日)