慣例化していた血税濫費の宴会
公明政治連盟が出発したころ、全国の地方議会では「宴会政治」が横行していた。議会の委員会終了後や管外視察後などに、議員たちによる宴会が開かれることが慣例となっていた。 血税を無用の宴会で濫費(らんぴ)することを、誰も疑問に思わない。倫理感覚の恐るべき麻痺であった。 公明は、この宴会政治の追放に全国で取り組んだ。口火を切ったのは都議会公明。議会で取り上げた当初は、誰も耳を貸さなかった。 だが、1963年4月の統一地方選で公明が都議会第3党へと躍進すると、他の議員たちも公明を無視できなくなった。選挙直後の6月定例会を前にした各派幹事長会で、公明の提案による「宴会政治自粛申し合わせ」が行われたのだった。 この快挙に力を得た各地方の公明議員たちも、次々と声を上げ始めた。宴会予算の削減や全廃に向けての闘いが各地で繰り広げられ、大きな成果を挙げたのだ。「政界浄化の公明党」ならではの、地方政治刷新の金字塔であった。