自民党一党支配に風穴を開け、政権交代成し遂げる
1993年8月6日、細川護煕(=もりひろ=「日本新党」代表)を首相に、非自民、非共産の8党派からなる連立政権が発足した。それは、38年間続いた自民党一党支配の時代を終わらせ、連立政権時代の幕開けを告げた、日本政治史の一大画期であった。 細川政権誕生の背景には、「政治とカネ」を巡る相次ぐ不祥事に対する国民の激しい怒りがあった。 一党の長期支配が必然的にもたらす政治腐敗と決別するには、政権交代可能な体制づくりが不可欠だった。そのような認識から、公明党は細川政権誕生に主導的役割を果たした。当時の宮沢喜一内閣への不信任決議案提出から解散総選挙への流れも、事実上、公明党がつくったと言っていい。 国民の絶大な支持を得て誕生した細川連立政権では、公明党から4人が入閣(総務庁長官、郵政相、労働相、環境庁長官)。初の政権与党入りを成し遂げた。 「政治改革内閣」を標榜(ひょうぼう)した細川政権は、選挙制度改革などを実現させ、大きな役割を果たした。