結党以来の悲願を成し遂げるまでのドラマ

結党以来、日中国交正常化の推進を重要課題として掲げてきた公明党は、復交前の1971年6~7月に党独自の訪中団を派遣するなど、努力を重ねた。この第1次訪中は、周恩来総理との会談が行われるなど、国交正常化への一里塚となった。  帰国直後の71年7月15日、米国のニクソン大統領が突然、「周総理の招待で北京を訪問する」と発表。日本も中国敵視政策の転換を迫られる事態となった。  激動のなか、公明党は翌72年5月に第2次訪中、同年7月には第3次訪中を行った。第3次訪中時には、周総理から訪中団に、日中共同声明の中国側草案が語られた。その内容は帰国後、田中角栄首相、大平正芳外相に伝えられた。それが、田中首相に訪中を決断させることになる。  そして、同年9月25日に田中首相は訪中。同29日には日中共同声明が調印され、ついに国交正常化が成し遂げられた。両国の橋渡しをしたのは公明党であった。「周恩来が公明党を選んだ」(西園寺一晃)のだ。

【写真】北京の人民大会堂で日中共同声明に調印する田中角栄首相と周恩来首相 (1972年9月29日) 写真提供:共同通信社