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マンガ de 社会問題
第24回 魚戸おさむ(監修・原案/大津秀一)『はっぴーえんど』
前原政之(フリーライター)「多死社会」ゆえに生まれた「看取りマンガ」の秀作
- 『はっぴーえんど』(ビッグコミックス)
少子高齢化が進んだ先に死亡数が増加し、人口減少に向かう社会のことを「多死社会」と呼ぶ。日本はいま、まさに多死社会へと急速に歩を進めている。2010年に約120万人であった年間死亡数は、2015年には130万人を突破した。
今後、死亡数がピークに達すると見られるのがいま(2019年)から約20年後――2039年前後である。その時期の死亡数は約170万人に達すると予測されている。突出して人口が多い「団塊の世代」が、人生の終わりにさしかかるためだ。また、そのころの年間出生数は70~80万人にまで落ち込み、年間100万人程度の人口減少が起こるとも推計されている。
「現代文明は死をタブー視し、死から目を背ける文明である」とも言われてきた。だが、「多死社会」化が進むいまの日本では、むしろ死は中高年の大きな関心事となっているようだ。一例として、『週刊現代』『週刊ポスト』などの中高年男性向け総合週刊誌では、「死後の手続き」をめぐる特集を組むことがブームとなっている。その手の特集を組むと、総じて部数も好調なのだという。
そうした〝時代の潮目〟の変化は、マンガ界にも波及している。終末医療・看取りをテーマとしたマンガが続々と登場しているのだ(下のコラム参照)。中でもひときわ印象的な秀作が、今回取り上げる『はっぴーえんど』だ。
主人公は緩和医療医――すなわち「看取りケア」(余命わずかとなった終末期の医療)の専門医である。タイトルの『はっぴーえんど』に、「幸せな死」が含意されていることはいうまでもない。
作者は、テレビドラマ化もされた大ヒット作『家栽の人』(原作・毛利甚八)などで知られる、ベテラン・マンガ家の魚戸おさむ氏。終末医療の世界を描こうと思ったきっかけは、魚戸氏自身がわずか3年の間に4人の身内を立て続けにがんで亡くし、「人の死のはかなさを感じ考える機会が増え」たことだったという(本人のブログによる)。
原案・監修は、緩和医療専門医である大津秀一氏。氏は終末期がん患者2000人以上を看取った医師であり、診療のかたわら、緩和医療や死生観の問題などについて活発に講演・執筆活動を行っている。豊富な臨床経験をふまえた、看取りについての論客なのである。『はっぴーえんど』で描かれる看取りのリアリティにも、大津氏の経験と知識が活かされている。
『はっぴーえんど』の主人公は、北海道・函館で緩和ケア専門の「あさひ在宅診療所」を営む医師・天道陽(てんどう・あさひ)。地域密着で看取りに取り組む天道と、最期を迎える患者たち(基本的には一話完結で、毎話一人の最期が描かれる)とのふれあいのドラマを通じて、本作は〝人はどのような最期を迎えることが幸福なのか?〟を読者に問いかける。多死社会ゆえに生まれた「看取りマンガ」の秀作である。
また、「在宅医は、病院の医師以上に患者さんとその家族の生活に深く関わることになります」(コミックス2巻)とあるとおり、各話は患者の最期を見守る家族の物語でもある。これは、〝家族にとっての「よき看取り」とは何か?〟を問う作品でもあるのだ。
医師が「患者と向き合う」とはどういうことか?
医師を主人公にしたマンガは、医学博士でもあった手塚治虫による『きりひと讃歌』『ブラック・ジャック』を嚆矢として、これまで数多く登場してきた。その中で主流となってきたのは、〝天才的な技量を持つスーパードクターが華麗に患者を救う〟というパターンであった。つまり、「ヒーローとしての医師」が描かれてきたのである。
対照的に、『はっぴーえんど』の主人公・天道はまったくヒーロー然としていない。函館のご当地アイドルグループ「はちみつマキアート」(架空のアイドル)の熱烈なファンであったり、患者訪問時に白衣を着なかったり……と、飄々とした〝医師らしからぬ医師〟として描かれているのだ。
そもそも、看取りケアでは積極的な延命治療は行われない。患者の苦痛や不快感を緩和し、残された生活を充実させることが最優先されるのだ。したがって、医師に求められるのは治療技術以上に、患者に寄り添い、その心を安らかにする力量なのである。
天道は、かつて大学病院勤務の優秀な外科医であった。だが、結婚したばかりだった妻・理絵の体にステージ4の乳がんが発見され、天道自身が主治医となる。理絵は「私、どうせ死ぬなら、家に帰りたいな……」と口にするが、天道は病院での治療をつづける。
理絵が亡くなったあと、天道は「俺は間違っていたのか……?」と激しい後悔と迷いに苛まれる。そして、その迷いを振り切る答えを探すべく、「国境なき医師団」に参加してアフリカで3年間を過ごす。そこでの経験と、緩和ケア専門の在宅医に転身した先輩医師との再会が、天道に故郷・函館(作者・魚戸氏の故郷でもある)で緩和ケア専門医になることを決意させる。
その先輩医師の、次のような一言が印象的だ。
「(患者の)最期に立ち合うかどうかが大切なんじゃない。家族も俺たちも、患者にどう向き合ったかなんだよ」
「なあ天道……なんで理絵さんを助けられなかった結果に囚われてんだ? たとえお前に後悔があったとしても、全身全霊で理絵さんに向き合ったんだろ? そんなお前に、理絵さんは絶対感謝してるさ。もういいだろ」
――この一言が天道の迷いを振り切り、転身に向けて背中を押すことになる。
また、天道が看護師に次のように言う場面もある。
「僕は……死んだ妻には彼女を苦しめた〝がん〟と向き合ってしまっていた気がするんだ。だから彼女が望まない苦しい治療を続けてしまった。(中略)幸せな最期って何なんだろう? 僕ら医者は、患者の最期にどう向き合うべきなんだろうか?」(コミックス6巻)
この言葉に、『はっぴーえんど』というマンガのテーマが刻みつけられている。医療そのものの意味を真正面から問う作品なのだ。
「自宅で死ぬ」という選択が増える時代に向けて
昔、日本の高齢者は自宅で最期を迎えるのがあたりまえだった。だが、1975年を境にして病院で最期を迎える人のほうが多くなり、いまや病院での死亡が全体の約8割になっている。自宅での看取りは1割にも満たない。日本は、国際的にみても病院での死亡率が高い国である。
しかし、これから日本は「多死社会」化に向けて進んでいく一方、病床数の増加はあまり見込めない。したがって、今後は病院ではなく自宅で最期を迎える人が、必然的に増加するのだ。
国民側の意識としても、「終末期の医療をどこで受けたいか?」という調査では、6割以上が「自宅」と回答している。そうした状況をふまえ、厚生労働省も在宅医療・施設介護へのシフトを推進している。訪問医療や介護従事者が、これまで以上に求められる時代になってきたのである。
『はっぴーえんど』は、そうした趨勢をふまえ、「自宅で死ぬ」という選択が増えることの意義を先駆的に描いたマンガと言える。
天道は、患者やその家族に初めて会った日に、決まって次のような言葉をかける。
「家には慣れ親しんだ人がいて、慣れ親しんだものがあり、慣れ親しんだ音があり、慣れ親しんだ空気が、空間があります。これは、他では真似しようがないんですよ」(コミックス1巻)
もちろん、自宅での看取りを一方的に礼賛するのではなく、その難しさも描かれている。また、同じ医師である兄に向けて天道が言う、次のようなセリフもある。
「一概に病院死がダメだとは言えないよね。色んな選択肢がある中で、在宅が最高ってわけじゃないけど…希望した場所で過ごせることが一番だとは思う」(コミックス3巻)
在宅看取りケアの世界をあたたかく描いた『はっぴーえんど』は、死の持つネガティブなイメージを払拭し、幸せな人生の終わり方について考えさせる出色のヒューマン・ドラマである。