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マンガ de 社会問題
第23回 吉田覚『働かないふたり』
前原政之(フリーライター)「若年無業者」を描いたマンガの代表格
- 『働かないふたり』(新潮社)
英国で生まれた「ニート」(NEET)という言葉が日本で人口に膾炙(世に広く知れ渡ること)したのは、2004年ごろのことだった。「Not in Employment、Education or Training」の頭文字を取った略語で、「就業、就学、職業訓練のいずれもしていない人」を意味する。元々が英国の若者支援政策の中で生まれた用語であり、若い「無業者」を指す。
ただし、ニートという語とその使われ方については、〝若年無業者の増加には経済・社会の構造的要因が大きいにもかかわらず、若者の怠惰が主因であるかのように思われてしまう。差別にもつながり、不適切〟とする批判も根強い。そのためか、近年では公文書などではあまり用いられなくなり、近い概念として「若年無業者」という言葉が用いられることが多い。
「失業者」が求職中の者を指すのに対し、若年無業者は求職活動自体をしていない者を指すという違いがある。対象年齢層は、内閣府の定義では15歳~39歳まで。
この「若年無業者」――平たく言えば「働かない若者」は、日本にどれくらいいるのか? 内閣府の『子供・若者白書』には、その統計が掲載されている。平成30(2018)年版の同白書には、次のようにある。
「15~39歳の若年無業者の数は、平成29(2017)年で71万人であり、15~39歳人口に占める割合は2.1%であった。共に前年を下回っている」
ちなみに、同年度における15歳~39歳の「広義のひきこもり」の推計数は、54.1万人。若年無業者とひきこもりは、かなり重なっていると考えられる。
近年は漸減傾向にあるとはいえ、71万人もの若年無業者がいることは、やはり由々しき社会問題といえるだろう。
そうした状況を反映して、働かない若者を主人公としたマンガも、1つのジャンルといってよいほど数多く登場している(下のコラム参照)。その中でも代表格と言えそうなのが、今回取り上げる『働かないふたり』である。
タイトルにもズバリ「働かない」と冠されたこのマンガは、若年無業者の兄妹(推定年齢は共に20代前半)を主人公に据え、無業者ならではの暮らしぶりに的を絞った作品である。現時点(2018年12月)でコミックスは既刊15巻という、堂々たる長編になっている。
「働かない」心情を、ほのぼのとした笑いの中に活写
連載メディア「くらげバンチ」(新潮社のWEBマンガサイト)には、この『働かないふたり』について、「秀才な兄と、対人恐怖症な妹。/働く気ゼロのアホ兄妹による/ぐーたら日常マンガ。」という惹句が躍っている。これは、この作品の本質を衝いた秀逸なキャッチコピーである。
兄・石井守と妹・春子の主人公2人は、どの回を見てもほとんど同じ上下スウェット姿で、家でダラダラと過ごしている。2人とも、夕方に起きては朝方に寝る昼夜逆転の生活。そのライフスタイルの中心は、ゲームをやったりテレビを観たりといった無為の時間だ。まさに、「ぐーたら日常」が延々と描かれるマンガなのである。
……と言うと、未読の人は「いったい、そんなマンガのどこが面白いのか?」と首をかしげるかもしれない。
だが、実際に読んでみれば大変面白い。随所に笑いが仕掛けられた上質のコメディであり、石井家の人々が身近な友人のように思えてくるリアルな家族ドラマでもある。
若年無業者の心情をヴィヴィッドに捉えたマンガとしても、よくできている。
たとえば、妹の春子は世間が連休のときには、何やらうれしそうにしている。「みんな働いてないと思うと…なんか安心するんだよね」と……(コミックス1巻)。
そのように、若年無業者のホンネを巧みにすくい取り、それをほのぼのとした笑いに昇華していくマンガなのだ。
もっとも、かなり好悪の分かれる作品でもあろう。「若者は働いてあたりまえ。20歳を過ぎ、学生でも病気でもないのなら、親のすねをかじって遊びつづけるなんて許されない」と考える人にとっては、石井兄妹の言動や考え方にいちいちイライラし、笑って楽しむどころではないだろうから……。
妹の春子は対人恐怖症ぎみではあるが、仲のよい友人に誘われれば外出もするし、話し慣れた相手とはある程度コミュニケーションを取ることもできる。精神科や心療内科を受診している様子もない。
兄の守に至っては、読んでいても、「なぜ彼が若年無業者になったのか?」がわからない。彼は高校時代まではスポーツも勉強もよくでき、一人で海外旅行に行った経験も豊富に持っているらしい。現在も友人は多く、自分から外出もする。コミュニケーション能力も比較的高い。そんな兄を、春子は「ニートのなかでもエリート」という意味で「エニート」と呼んでいるほどだ。
また、春子も守も、若年無業者になったわかりやすいきっかけ――いじめや大きな挫折など――は、とくになかったように描かれている。にもかかわらず、2人は作品のスタートから現在まで、一度たりとも働こうとはしないのである。
逆に言えば、作者はそのように描くことで、「若年無業者になるからには、よほど大きな挫折などの原因があったに違いない」というありがちな見方に異を唱えているのかもしれない。
じっさい、総務省の「就業構造基本調査」でも、「若年無業者が求職活動をしていない理由」についての回答は、「病気・けが」を除けば、「知識・能力に自信がない」「探したが見つからなかった」「希望する仕事が見つかりそうにない」「急いで仕事につく必要がない」といった、どちらかといえばあいまいな理由が多いのである(2012年度調査による)
そういう回答を「甘え」と捉える人にとっては、この『働かないふたり』も楽しめないだろう。
「追いつめず、あきらめない」両親のスタンス
兄妹に対する両親の接し方についても、納得できない読者は多いだろう。
母親は、守には就職活動を、春子には花嫁修業をするようにしばしば促し、時に厳しく叱咤する。しかし、基本的には2人が自発的に働き始める日を辛抱強く待つスタンスである。父親に至っては、子どもたちをまったく叱らず、あたたかく見守るのみで、「働け」と口にすることすらない。
そうした姿勢を見て、「親がもっと厳しく接しないから、子どもたちも働こうとしないのだ」と、フィクションにもかかわらず怒りや苛立ちを感じる向きも少なくないだろう。だが、ひきこもり問題の第一人者として知られる精神科医の斎藤環氏は、本作における両親の姿勢を高く評価している。
「『働かないふたり』の両親のスタンスがいい感じです。愚痴りつつ追い詰めない。対話をあきらめない」(氏のツイッター・アカウントでの、2017年11月15日のツイートより)
斎藤氏がいうとおり、本作における両親のスタンスは、放任やあきらめとは似て非なるものだ。
子どもたちへの根源的な信頼(=何があろうと、あなたたちを信じ、愛するという気持ち)を時に表明しつつ、あたたかく見守り、過度に追いつめず、対話と働きかけを根気強くつづけるスタンス――それは迂遠のように見えて、じつは自立への最短コースなのかもしれない。
近い将来、この『働かないふたり』が完結するとき、守と春子が働き始めるという形の大団円を迎えるのか、それとも働かないまま〝永遠のモラトリアム〟のように終わるのか、それはわからない。
ただ、既刊15巻の間の変化として、周囲のキャラクターが少しずつ増え、いまや〝兄妹を核とした群像劇〟の趣になっていることに注目したい。守と春子は、不思議な魅力で周囲の人々を惹きつけ、癒やしているのだ。
そうした展開それ自体が、「若年無業者は、ただの怠け者、社会のお荷物」という、ありがちでネガティブな捉え方への強力なアンチテーゼになっている。
本作の内容を肯定するにせよ否定するにせよ、若年無業者の問題を考えるうえで一度は読んでおきたいマンガである。