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マンガ de 社会問題
第22回 逢坂みえこ『母はハタチの夢を見る』
前原政之(フリーライター)「高齢者の5人に1人が認知症」の時代を前に
- 「母はハタチの夢を見る」(講談社)
「2025年には、日本国内で認知症の高齢者が約700万人に達する」……マスコミ報道でそんな数字に接したことのある人は多いだろう。
これは、2015年1月に厚生労働省が発表した「新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)」の中で示された推計値。認知症をめぐる報道の中で、くり返し引用されてきた。メルクマール(指標)とされた2025年は、「団塊の世代」全員が75歳以上の後期高齢者になる年だ。
700万人と言われても、その深刻さがすぐにはピンとこないかもしれない。そこで説明を加えれば、これは「日本の高齢者(65歳以上)の約5人に1人が認知症になる」という数である。
一方、2012年時点での認知症高齢者は462万人で、「高齢者の7人に1人」の割合だ。それが、わずか13年後には「5人に1人」へと、約1・5倍に増える見込みなのだ。認知症が急速に〝身近な病〟になっていく様子が、この数字から見て取れるだろう。
そうした急増の最大の要因は、いうまでもなく高齢化の進行だ。「若年性認知症」も珍しくないとはいえ、認知症の最大の要因は加齢である。高齢化が進むほど、必然的に認知症も増えるのだ。
すでに現在でも、「家族・親戚・友人知人の中に、1人も認知症の人がいない」という人は、むしろまれではないか。筆者自身の周囲を見ても、ごく近い親戚、ご近所さん、知人の家族に、それぞれ認知症高齢者がいる。
そのような現実を反映して、近年、マンガの中にも認知症を描いた作品が増えてきている。
たとえば、岡野雄一さんのコミックエッセイ『ペコロスの母に会いに行く』(2012年刊)は、認知症になった母と主人公のマンガ家のふれあいをあたたかく描き、大ヒット作となった。これまでに、テレビドラマ化・映画化・舞台化されている。
また、2016年のマンガ界で大きな話題を呼んだ加藤片さんの『良い祖母と孫の話』も、祖母の認知症がストーリーの鍵となっていた。
ベテランマンガ家・齋藤なずなさんが今年(2018年)20年ぶりに刊行した作品集『夕暮れへ』でも、そこに収録された新作「トラワレノヒト」「ぼっち死の館」はいずれも老いと死をテーマとしており、認知症が物語の重要な要素になっていた。
そして、今回取り上げる『母はハタチの夢を見る』も、そのような流れから生まれてきた〝認知症マンガ〟の一つである。
象徴的なのは、いま挙げた作品のうち、『良い祖母と孫の話』以外は作者の実体験に基づいているということだ。
『ペコロスの母に会いに行く』は、作者の認知症になった実母の介護体験に基づいている。齋藤なずなさんは、20年にわたって家族の介護をつづけ、それがマンガ家としての長いブランクに結びついた。新作にも、介護と看取りの実体験が反映されている。
『母はハタチの夢を見る』も、作者・逢坂みえこさんの80代の義母が、認知症となる主人公のモデルになっているという。
「高齢者5人に1人が認知症」の時代に向け、マンガ家たちにとって認知症が身近になるにつれ、今後もさまざまな〝認知症マンガ〟が続々と登場するだろう。
認知症の重い現実を、軽やかにあたたかく描く佳編
『母はハタチの夢を見る』は、75歳の母親が認知症になり、自分がまだ20歳の若い娘であると思い込んでしまう……という物語である。
母親の視点から描かれる場面では、彼女は20歳の娘の姿で登場する。それは、シリアスな物語に柔らかみと華やぎを加味するための、作劇上の工夫でもあろう。そしてその工夫は、認知症を描いたマンガの先駆である、高野文子さんの初期傑作「田辺のつる」(1980年)を彷彿とさせる。
「田辺のつる」の主人公は認知症になった82歳の老婆だが、マンガの中では幼女の姿で描かれる。彼女は、自らの心の中では幼女のままなのだ。逢坂みえこさんも、おそらく「田辺のつる」を念頭に置いて『母はハタチの夢を見る』を描いたのだろう(むろん、切り口はまったく異なる)。
母が20歳の姿で描かれる場面が多いこと以外にも、〝物語を深刻にしすぎない工夫〟が幾重にも重ねられている。たとえば、母の思い出の映画『ローマの休日』のイメージがくり返し登場することや、随所に笑いの要素があることなど……。認知症という重いテーマを扱いながらも、全体は〝ほのぼのとしてコミカルなホームドラマ〟という趣なのだ。
それでいて、〝現実から目を背けたファンタジー仕立て〟というわけではない。徘徊や、配偶者など家族に向けられがちな被害妄想など、認知症にありがちな問題行動も、ちゃんと描かれている。認知症の現実について、読者に深く考えさせる作品でもあるのだ。そのへんの絶妙な匙加減は、ベテランマンガ家ならではの名人芸といえよう。
逢坂みえこさんの近年の作品では、本欄でも以前取り上げた、アスペルガー症候群の父親による「育児=育自」を描いた『プロチチ』が傑作であった。また、『おかあさんとごいっしょ』は、いわゆる「毒母」問題までも視野に入れ、母親と成人した実娘の関係の難しさを描いた物語であった。
この『母はハタチの夢を見る』も、シリアスで重い問題をテーマに据えつつ、深刻になりすぎず、軽やかにあたたかく描いている点で、その2作と同系列と言える。いわば「ビター&スイート」な味わいの佳編なのだ。
『母はハタチの夢を見る』が、コミックス1巻で終わってしまったのは惜しい。5巻くらい費やして、認知症をめぐるさまざまな問題を、さらに多面的に描いてほしかった。もっとも、それは「隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望む=人の望みや欲望にはきりがないこと」のたぐいであろうが……。