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マンガ de 社会問題
第21回 古屋兎丸『彼女を守る51の方法』
前原政之(フリーライター)「首都直下地震」の危機をリアルに描く〝防災マンガ〟の秀作
- 彼女を守る51の方法(新潮社)
「南海トラフ巨大地震」と並んで、「いつ起きてもおかしくない」と危惧される「首都直下地震」。M(マグニチュード)7級の首都直下地震は、「30年以内に70%の確率で起こる」と考えられているのだ。
その中でも最悪のケース――冬の夕方に都心南部を震源としてM7級の首都直下地震が発生した場合には、最大2万3千人の死者、61万棟の建物の全壊・焼失などの甚大な被害が、政府によって予測されている。
また、今年(2018年)6月、土木学会は巨大地震の経済被害額推計を発表したが、それによると、首都直下地震の経済被害は発災からの20年間で778兆円に上ると推計されている。まさに「国難」レベルの大災害となるのが、首都直下地震なのだ。
震災の多い日本であるだけに、大震災の恐怖はマンガにもしばしば描かれてきた(コラム参照)。その中にあって、まさに首都直下地震を題材にした作品が、今回取り上げる『彼女を守る51の方法』である。
2006年から07年にかけて、『週刊コミックバンチ』に連載された作品。「防災・危機管理ジャーナリスト」として幅広く活躍する渡辺実氏が、「監修協力」にあたっている。
このマンガの連載開始前年、やはり渡辺氏が監修して、『彼女を守る51の方法――都会で地震が起こった日』(「彼女を守るプロジェクト」著/マイクロマガジン社)という本が刊行された。グラビアアイドルをヒロイン役に据え、写真と文章を併用したストーリー形式をとった、ユニークな防災マニュアル本であった。デート中に首都直下地震に遭遇した若いカップルが、極限状況の中をどう生き残っていったか? そのプロセスを描くことを通して、読者に大震災への対処法を伝授する本だったのだ。
マンガ『彼女を守る51の方法』は、同書を原案として生まれたものなのである(コミックスにも「原案協力」とクレジットされている)。ただし、マンガのストーリーは完全なオリジナルであり、原案の本との重複はまったくない。
防災マニュアル本が原案であるだけに、このマンガは「パニックもの」としての面白さとともに、〝防災マンガ〟としての実用性も十分にそなえている。
たとえば、コミックス1巻には、ケガをした被災者に生理用ナプキンを用いて止血を施す場面がある。ナプキンは吸水性に優れ、開封直後は清潔だから、止血にピッタリなのだという。このように、実際の震災でも役立つ防災知識が、随所にちりばめられているのだ。
また、コミックス各巻の巻末には、監修者の渡辺氏による、マンガの内容をふまえた防災コラムも収録されている。各コラムは作品のより深い理解に役立ち、初歩的な防災マニュアルとしても有益だ。本作は、優れた〝防災意識啓発マンガ〟でもある。
「地を這う視点」から描かれた大震災の恐怖
作者の古屋兎丸(ふるや・うさまる)氏は、映画化もされた大ヒット作『帝一の國』などで知られる人気マンガ家。耽美的な作品やオシャレな作品が多く、氏のキャリアの中にあって、この『彼女を守る51の方法』は異彩を放っている。
とはいえ、古屋氏が全力を注いでこの作品に取り組んだことは、コミックス最終巻(5巻)の「あとがき」から十分に伝わってくる。
この作品では、東京・お台場で首都直下地震に遭遇した主人公の大学生・三島ジンと、偶然再会した元同級生・岡野なな子が、早稲田にある自宅に徒歩で帰り着くまでの出来事が描かれる。そのプロセスをリアルに描くため、古屋氏は2人が通る経路を何度も何度も歩いたという。
「壊れた街をイメージしながらお台場から早稲田まで歩いた。/歩いているうちに警察は? 大使館は? 東京タワーは?と細かな疑問が浮かんでくる。/その都度渡辺氏にしつこく質問し教えを乞うた」
「そして脚本やネームは/その場所その場所、移動しながら野外で描いた。/暖かい仕事場では冬の寒さや野外の辛さが絵空事になってしまう気がしたからだ。/この漫画を描いてる最中僕は本当に帰宅困難者のようだった」(「あとがき」より)
そのようなフィールドワーク的手法を用いたためか、この作品は終始「被災者の目線」から描かれている。大震災を描いたフィクションにありがちな、政府の対応や自衛隊の活躍などの描写が随所に挿し込まれる〝マルチ視点〟は、あえて排除されている。主人公たち被災者の「地を這う視点」で統一されているのだ。だからこそ、主人公が体験する恐怖や焦燥には、強い迫真性がある。
そして、「防災・危機管理ジャーナリスト」が監修にあたっているからこそ、主人公たちを次々と襲う困難に、高いリアリティがある。
たとえば、お台場で被災した主人公を最初に襲うのは大規模な「液状化現象」だが、お台場は埋立地であり、地盤のゆるさから首都直下地震での液状化が危惧されている土地なのである。
また、危険なお台場から逃げるため、主人公たちはレインボーブリッジを渡るが、その際に余震が起き、橋の上の群衆がパニックに陥る描写がある。これも、「震災時には橋がパニックの危険地帯となる」(橋上では少しの揺れも増大するし、出口が限定された空間では「早く逃げなければ」という心理からパニックに陥りやすいため)という、都市防災学の知見をふまえた描写なのだ。
東日本大震災前に描かれたがゆえの違和感
そのように、高いリアリティを持った震災マンガではあるが、「現実の首都直下地震ではこんなことは起きないだろう」と思う部分もある。
それは終盤の「暴動」の描写である。渋谷の街で一部の被災者が暴徒と化し、集団で略奪や暴行などをくり返す地獄絵図が、パニック映画のようなタッチで描かれるのだ。それが、物語全体のクライマックスにもなる。
だが、現時点――つまり「3・11」を経験したあとで読むと、この展開にはリアリティが感じられない。なぜなら、東日本大震災の被災地ではそのような暴徒は出現しなかったからだ。
被災家屋からモノを盗むなどの犯罪が皆無だったわけではない。だが、少なくとも集団での略奪・暴行は一度も起きなかった。諸外国では、大規模災害時にしばしば集団的な略奪などが起こる。日本ではそれが起きず、被災者たちは秩序立った行動を保ち、互いに助け合った。その様子が各国のマスコミに報じられ、「日本人は素晴らしい」と称賛されたことは、記憶に新しい。
本作終盤の暴動描写も、東日本大震災前に描かれた作品ゆえのものだろう。かりに震災後に描かれていたなら、作者の古屋氏も違う展開を選んだのではないか。
いささか煽情的でもあるクライマックスの暴動描写は、現時点で読むと本作の瑕疵に思える。だが、作品全体はその瑕疵を補って余りある美点に満ちている。
首都直下地震の危機が迫るいま、もう一度光を当てたい力作である。