Book Review

マンガde社会問題

文/前原政之(フリーライター)

第18回:竜田一人『いちえふ――福島第一原子力発電所労働記』

作業員自らが、福島第一原発の現場を描いた「ルポ・マンガ」

 描こうとする対象の企業などで自ら働き、その体験をルポにまとめる――活字のノンフィクションにおいては伝統的な手法の一つである。
 若き日の鎌田慧が、トヨタ自動車で期間工として働いた経験をまとめた『自動車絶望工場』(1973年)などが、その代表例として挙げられる。
 同じ手法で書かれた作品に、堀江邦夫のルポ『原発ジプシー』(1979年/現在は『原発労働記』と改題)がある。著者自らが3つの原発を渡り歩き、下請け労働者として働いた体験を記録したものだ。
 今回取り上げる『いちえふ――福島第一原子力発電所労働記』は、その手法をマンガの世界に取り入れたものといえる。自称「売れないマンガ家」の著者・竜田一人(福島第一原発からほど近い、常磐線竜田駅に由来する仮名)が、2012年から14年にかけて、福島第一原発で断続的に作業員として働いた経験を描いた「ルポ・マンガ」なのだ。
 竜田は、マンガ化に至ったいきさつを、コミックス1巻で次のように表現している。
 「最初から漫画を描く目的で働きに行ったわけではないが、全く描くつもりがなくて働きに行ったかというと、それもまた言い切れない。
 いろんな奴がいろんな形で記録に残す事には、少しは意味があるだろうぜ。漫画なんて形にするの、多分今のところ俺だけだろうし」(句読点は引用者補足。以下同)
 タイトルの「いちえふ」とは、福島第一原発の通称。地元住民や現場の作業員は、このように呼ぶのだという。
 かつての『原発ジプシー』も、内容の約3分の1は福島第一原発での労働記であった。しかし、同作と『いちえふ』はまったく意味合いの異なるものとなった。というのも、『いちえふ』は原発事故後の話であり、竜田らが携わるのも将来の廃炉に向けた作業であるからだ。
 事故後の福島第一原発で働いた経験を描いた活字のノンフィクションもあるが(鈴木智彦の『ヤクザと原発――福島第一潜入記』など)、この『いちえふ』にはマンガならではの価値がある。いうまでもなく、現場の様子が視覚的にわかりやすく表現されているという価値だ。
 竜田はマンガ家であることを隠して働いたそうだから、現場での写真・動画撮影はできなかったはず。にもかかわらず、原発内部や周辺地域の様子、作業のディテールなどが、絵として綿密に描き出され、すごい臨場感で活写されている。プロのマンガ家の観察眼の確かさ、記憶を絵として再現する能力の高さに、改めて驚かされる。

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 (モーニングコミックス)

「告発」ではなく、ありのままの現実を淡々と記録する

 『いちえふ』は、正式に「完結」がアナウンスされたわけではないが、いまのところ3巻までで終わっている。
 そのうち1、2巻には、カバーに同じキャッチコピーが躍っている。「これは『フクシマの真実』を暴く漫画ではない。/これが彼がその目で見てきた『福島の現実』。」というものだ。
 この言葉に込めた思いについて、著者の竜田自身が、新聞のインタビューで次のように述べている。
 「震災以降にたくさん出てきた『真実』を暴く作品とは趣旨が違いますよ、ということです。私自身、そういった作品や報道にうんざりしていたこともあります。(中略)
 この漫画においては『真実』を探ることよりも、私が見てきたことを描くことが重要だと思っています。福島なり1Fの一側面を記録することが全てなんです」(『毎日新聞』ウェブ版2014年5月22日)
 「『フクシマの真実』を暴く」「作品や報道」とは、“福島産の農産物・海産物は放射能に汚染されている”とか、“原発作業員の被曝事故死が起きているが、隠蔽されている”などと、事実と異なることを言い立てて読者を煽るたぐいを指すのだろう。
 『いちえふ』には、そのような歪み・偏りがない。
 もちろん、作業のさまざまなつらさも随所に描かれている。しかし、事実を誇張し、「危険で劣悪な環境で搾取される原発労働者」というイメージをことさら強調したりはしていないのだ。
 むしろ、そのようなイメージを覆すほど、現場の作業の様子はのんびりとしている。たとえば、1巻には次のような一節がある。
 「企業厚生課や各元請け企業の休憩所にはスポーツドリンクの冷蔵庫もある。昨年(2012年)夏にはどこかの週刊誌が『冷たい水が飲めるのは東電社員だけ』なんて書いてたが、意図的な誇張だ。(中略)
 メディアの報じる『フクシマの真実』なんてそんな話ばっかりで、俺たちは正直うんざりだ。この世の地獄みたいに言われるこの1Fで、毎日こうしてのんびりメシ食って昼寝なんかしている。これもまたメディアではあまり報じられない『福島の現実』だ」
 「のんびりしている」といっても、放射線量の高いエリアでの作業は相応のリスクを伴うわけだが(3巻では、1号機原子炉建屋内での作業の様子が描かれる)、少なくとも、我々が想像していたイメージよりもずっと、作業員たちの仕事ぶりは「日常的」なのだ。
 竜田は、『いちえふ』を描き始めたときの心境を、作中で次のように表現している。
 「むしろメディアが好んで取り上げるようなセンセーショナルな事実や、ドラマチックな出来事などそうそうないという事自体が、意外で新鮮かもしれない」(コミックス3巻)
 この言葉のとおり、福島第一原発での作業が、我々の日常と地続きの“普通の出来事”として描かれている点に、『いちえふ』の新鮮さがある。
 竜田のスタンスは、「反原発」でも「親原発」でもない。福島第一原発の労働環境を「告発」する作品でもなければ、逆に安全性をことさら喧伝する作品でもないのだ。
 新聞のインタビューで彼自身が、「あくまで自分の見てきたことを記録しておこうという意識で『いちえふ』を描いています。記録者としての役割を果たすということに専念したいと思っています」(同前)と語るとおり、ありのままの現実を淡々と記録したマンガであり、その中立性にこそ価値がある。

コラム/『いちえふ』に先駆けて原発労働者を描いた勝又進

 原発を描いたマンガは、『いちえふ』以前にもあった。
 たとえば、少女マンガ界の大御所・山岸凉子は、チェルノブイリ原発事故(1986年)後に日本でも高まった「反原発」機運のなか、1988年に短編「パエトーン」を発表した。
 ギリシャ神話に登場する、“神になり代われると思い上がった若者”パエトーンの悲劇に託し、原発の孕む危険性と日本の原発依存に警鐘を鳴らした作品だ。2011年の福島原発事故後、この短編は再び脚光を浴び、先見性が評価された。
 しかし、先行作の中で『いちえふ』に近いものを挙げるとすれば、2007年に世を去ったマンガ家・勝又進が遺した2つの短編――「深海魚」と「デビルフィッシュ(蛸)」になるであろう。1980年代後半に発表された作品だ。
 勝又は東京教育大学(現在の筑波大)大学院で原子核物理学を専攻した経歴の持ち主であり、原発についての基礎知識を十分にもっていた。そのうえで実際に原発の取材もして、この2編を描いたのだという。
 いずれも、原発で働く下請け労働者たちが主人公。原発内での労働の様子も重いリアリティをもって描かれ、労働者が置かれた苛酷な環境が読者の胸に迫る。
 それでいて、紋切り型の告発調には陥っていない。あからさまな「反原発マンガ」ではなく、詩情とペーソスのなかに淡々と原発の現場が描かれているのだ。そのようなニュートラルな姿勢も、『いちえふ』と相通ずるものである。
 勝又進は、短編集『赤い雪』で2006年に日本漫画家協会賞大賞を受賞するなど、専門家筋から評価の高い作家だ。しかし、これといったヒット作があるわけではなく、知る人ぞ知る存在であった。にもかかわらず、没後の2011年、この2編を含む短編集『深海魚』(青林工藝舎)が突然刊行された。それは福島第一原発事故の余波であった。
 原発労働者をリアルに描いたマンガの先駆であり、『いちえふ』と読み比べるのも一興だろう。