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マンガ de 社会問題
第16回 田中圭一『うつヌケ――うつトンネルを抜けた人たち』
文/前原政之(フリーライター)“うつ病100万人時代”の日本に、出るべくして出た作品
- 『うつヌケ』KADOKAWA
今年(2017年)2月、WHO(世界保健機関)は、世界でうつ病に苦しむ人が3億2200万人に上った(2015年時点)との推計を発表した。世界人口の約4%に及ぶ数であり、10年前の2005年と比べて約18%増加したという。
WHOの発表では、日本のうつ病患者が約506万人と推計されている。これは、厚生労働省の調査結果と比べてかなり大きい数字である。厚労省の直近の「患者調査」(2014年)では、うつ病などの「気分障害」(躁うつ病含む)で医療機関を受診している人は、約112万人であったのだ。この違いは、厚労省の調査が対象を医療機関受診者に絞っているのに対し、WHOの推計はそれ以外も含めていることによる。
いずれにせよ、日本がすでに“うつ病100万人時代”を迎えているのは確かであり、近年の増加傾向も顕著である。
そのようにうつ病が大きな社会問題となっているいま、時宜にかなったマンガが先ごろ刊行され、ベストセラーになっている。今回取り上げる田中圭一の『うつヌケ――うつトンネルを抜けた人たち』がそれだ。
同作は今年1月の刊行以来、現在までのわずか2ヶ月で6刷に達し、12万部を突破した。出版不況がマンガにも及んでいる昨今にあって、異例の速さでのベストセラー入りと言える。
『うつヌケ』は、自らもうつ病に苦しんだ体験を持つマンガ家・田中圭一が、うつ病からの脱出に成功した人たち17人にインタビューを行い、各人の体験をマンガにまとめたドキュメンタリーコミックである。
17人の中には、一色伸幸(脚本家)、大槻ケンヂ(ロックミュージシャン/作家)、内田樹(思想家/武道家)、宮内悠介(作家)らの著名人もいれば、無名の一般人もいる。また、一話を丸ごと割いて精神科医からのアドバイスを描いた回もある。
マンガという形式でうつ病脱出の方途を探った作品であり、“うつ病100万人時代”の日本に出るべくして出たマンガと言える。
うつ病から脱出するヒントに満ちた、“実用性”の高さ
『うつヌケ』の先行作として、細川貂々の『ツレがうつになりまして。』(2006年/以下「ツレうつ」と略)が挙げられる。
これは、作者のツレ(=夫)がうつ病になり、夫婦二人三脚で乗り越えていったプロセスを描いたコミック・エッセイである。75万部突破の大ベストセラーになり、テレビドラマ化・映画化もされ、続編も刊行された。
事実に基づいてうつ病を描いたマンガ2作が、いずれもベストセラーとなったこと自体、日本のうつ病患者の増加を反映している。「ツレうつ」や『うつヌケ』を買い求めた人の中には、かなりの割合で、自身や身近な人がうつ病に苦しんでいる人が含まれているのだろう。うつ病から脱出するヒントを求め、いわば“実用コミック”として読む人が多いと推察されるのだ。
作品としての価値は脇に置き、“実用性”という尺度のみで比べるなら、「ツレうつ」よりも『うつヌケ』のほうが優れている。というのも、「ツレうつ」に描かれるのが基本的に作者の体験のみであるのに対し、『うつヌケ』には多くの人の多様な体験が描かれているからだ。
『うつヌケ』でも、作者自身のうつ脱出体験が3話にわたってマンガ化されている。ただし、自分にとって有益だった方法や本を絶対視せず、あくまで一つの事例として描くにとどめている。
また、それ以外の回では、幼少期のつらい体験が根底にある例、うつ病ではなく「双極性障害Ⅱ型」(躁状態が軽いタイプの躁うつ病。うつ病と誤診されやすい)であった例、自分がうつ病であるという病識がない例など、さまざまな「うつヌケ」体験が紹介される。
現時点ではまだ、人がうつ病を脱出するプロセスに「これをやれば絶対」という王道はない。試行錯誤を重ね、自分に合ったやり方を見つけるしかないのだ。その点で、多様な体験が取り上げられた『うつヌケ』は、「あの手この手でうつに立ち向かおう」と読者に思わせ、「ツレうつ」よりも汎用性が高い。
うつ病の現実を世に知らしめる、質の高い「啓蒙書」
『うつヌケ』は、第一義的にはうつ病に苦しんでいる人々に向けた“実用コミック”だが、この作品の価値はそこにとどまらない。いまはまだうつ病を経験したことのない人たちに向けて、うつ病の現実を知らしめる「啓蒙書」としても優れているのだ。
本作には、うつ病になったときの独特の感じ方・考え方が的確に表現されている。
たとえば、田中圭一は自らがうつ病になったときの「記憶があいまいになる」「活字が頭に入ってこない」「音楽に感動できない」などの症状を、「まるで脳が濁った寒天で包まれているような/頭にいつも『もや』がかかったようなボヤーッとした感じ」と表現する。
これは実体験からしか生まれ得ない見事な表現で、うつ未体験者にも「なるほど」と思わせる。
また、インタビューイ(インタビューを受ける側)の1人・一色伸幸は、「うつは心の風邪」というありがちな表現に強く異を唱え、「ちがう!! 風邪なんてなまやさしいもんじゃない/うつは心のガンだ!!」と語る。
「うつは心の風邪」という言葉は、うつ病が“誰もがかかり得る、ありふれた病気”であることを知らしめるために、大きな役割を果たした。だが、うつが風邪のようなものと認識されてしまうと、取るに足らないものとして軽んじられかねない。その点、「心のガン」として捉えれば、その重篤さが人々に伝わるし、万一うつ病患者が自死を選んだ場合にも「家族のせいじゃない」ことがわかる――との主旨だ。
これは、“うつ病100万人時代”を生きる我々1人ひとりが肝に銘じるべきことであろう。
本作は、家族や友人・知人がうつ病になったとき、どう接すればよいのかのよき手本にもなるのだ。
作家の故・北杜夫は、自らの躁うつ病体験をしばしばエッセイ等で明かしてきた。そのことを、「日本に躁うつ病理解の土壌を作ったという意味で、大きな社会貢献」と評する向きがある。
同様に、『うつヌケ』や「ツレうつ」がベストセラーになったことは、日本人のうつ病理解の裾野を広げたという意味で、社会的意義も大きいといえよう。