Book Review

マンガde社会問題

文/前原政之(フリーライター)

第15回:山田胡瓜『AIの遺電子』

「AI版『ブラック・ジャック』」と評される、異色の傑作SF

 ここ2、3年、AI(人工知能=artificial intelligence)をめぐるマスコミ報道・論評がにぎやかだ。ビッグデータ、自動運転車などのキーワードとともに、AI関連のニュースが報じられない日はない。
 その背景には、「人工知能研究における50年来のブレークスルー」(松尾豊著『人工知能は人間を超えるか』角川EPUB選書/2015年)とも呼ばれる先端技術――「ディープラーニング」(深層学習)の台頭がもたらした「第3次AIブーム」がある。2012年ごろに始まったこのブームは、2017年のいまもなお勢いを保っている。
 今回取り上げる山田胡瓜(きゅうり)氏の『AI(アイ)の遺電子』は、2015年に『週刊少年チャンピオン』で連載開始されたSFマンガ。第3次AIブーム真っ只中に登場し、“AIと人間の共生”をテーマに据えた意欲作だ。
 作品の舞台となるのは、高度なAIを搭載した人間そっくりの「ヒューマノイド」(人型ロボット)が、人間に混じって社会を構成する未来社会。「今や国民の1割がヒューマノイド」とのセリフが、作中に出てくる。
 主人公は、AI専門の凄腕医師・須堂。彼は「モッガディート」という裏の名を持ち、法的にグレイゾーンにある依頼も含め、ロボットやヒューマノイドをめぐるさまざまな「難題」を、その抜きん出た技術と知識で解決していく。須堂=モッガディートの活躍を、一話完結スタイルで描くSF短編連作である。
 この作品は、「AI版『ブラック・ジャック』」とも呼ばれているという。  手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』は、神業のごとき技術を持つ天才外科医が、法外な手術費を受け取ることと引き換えに、他の医師から見放された難病などを治療する短編連作であった。
 本作の基本設定は明らかに『ブラック・ジャック』を意識して作られている。奇しくも、『ブラック・ジャック』がかつて連載されたのも、『AIの遺電子』と同じ『少年チャンピオン』であった。

『AIの遺伝子』少年チャンピオンコミックス(秋田書店)

「シンギュラリティ」後の世界を考える“思考実験マンガ”

 第3次AIブームによって一般にも定着した言葉に、「シンギュラリティ(技術的特異点)」がある。近未来にAIが知性の総量で人類を追い越し、「人間を超える存在」となる時点を指す概念だ。
 この「シンギュラリティ」がいつ訪れるのか、そして、それ以後の世界がどう激変するのかは、論者の立場によって大きく見方が分かれる。
 たとえば、シンギュラリティの概念を世界に広めた米国の未来学者レイ・カーツワイルは、その到来を2045年前後と予測している。一方、日本のAI研究者・野村直之氏は、近著『人工知能が変える仕事の未来』(日本経済新聞出版社/2016年)で、「今世紀中にはシンギュラリティが到来することはないでしょう」としている。
 また、シンギュラリティ後の世界については、「AIが人類を支配するか、滅ぼす」と考える極端な悲観論があり、世界的物理学者スティーブン・ホーキングらがその立場を取っている。一方で、「人工知能が人間を支配するなどという話は笑い話にすぎない」(松尾豊/前掲書)と見る研究者も少なくない。
 そのようなシンギュラリティ論議をふまえて読むと、『AIの遺電子』はいっそう面白く読める。というのも、このマンガは明らかにシンギュラリティ後の世界を舞台にしているからだ(ただし、作品の年代設定は明確ではない)。
 外見では人間と区別がつかず、人間同様に豊かな感情を持つヒューマノイドが、人間とともに社会を構成する……『AIの遺電子』に描かれたそのような世界は、現実には今世紀中にはあり得ないことだろう。が、実現可能性はとりあえず脇に置き、一つの「思考実験」として捉えるなら、じつに面白い。
 『AIの遺電子』ではシンギュラリティ後の世界が、「AIが人類を支配するディストピア」としてでなく、AIと人間が平和共存する世界として描かれている。そして、そのような世界に起こり得る問題・あり得るドラマが、毎回巧みにすくい上げられていく。
 たとえば、第28話「謝罪」(コミックス3巻)は、「お客様へのお詫び」の大半がAIの精緻な自動応答で代替されている未来社会で、生身の人間が出向いて謝罪することに特別な価値が生じている、というアイロニカルな状況を描いた一編だ。
 今後、AIの活用で無人化される領域が広がるほど、生身の人間による対応が希少財化・高級化していくというのは、AI研究者も予測していること。作者はその予測をふまえ、サービスの無人化が極限まで進んだ世界で起きる皮肉な逆転――シンドイ作業だからこそAIに代替させた「お客様へのお詫び」なのに、その果てに人間の謝罪が求められる逆転――を描いたのだろう。
 マンガ家になる前はIT記者だったという作者の山田胡瓜氏は、AI関係の本を相当読み込んでいるか、AI研究者に取材を重ねて本作に取り組んでいると思う。その努力の跡が、随所に感じられるのだ。

ロボットと人間が共存する未来を、あたたかく描く

 『AIの遺電子』が、タイトルの「AI」を「アイ」と読ませていることは、象徴的である。というのも、この短編連作に通底するテーマは、親子の情愛、夫婦愛などの「愛」であるからだ。
 その中には、ヒューマノイドと人間の恋愛という、未来社会ならではの新しい愛の形もある。この作品の準主人公ともいうべきリサ(須堂の病院の看護師)はヒューマノイドだが、人間である須堂に想いを寄せているのだ。
 ロボットと人間が共存する未来社会にも、いまの社会同様、さまざまな愛の形があり、愛が人々を突き動かしている――と、そのように未来をあたたかく描き出す“ヒューマンなSF”である点が、本作の大きな魅力だ。
 そしてまた、これは「人間とは何か?」という大きな問いを読者に投げかけるマンガでもある。人間そっくりのヒューマノイドたちも、ロボットである以上、人間とはさまざまな点が微妙に異なる。その差異がストーリーの中で浮き彫りになることによって、「人間らしさ」の意味が逆照射されるのだ。
これほどスペキュレイティブ(思弁的)な、大人の鑑賞に堪えるSFマンガが、少年マンガ誌に連載されているとは驚きだ。

コラム/「AIが雇用を奪う」という脅威論への、一つの回答

 マスメディアをにぎわすAI関連記事や本のなかで、昨今とくに目立つのが、「AIの急速な発展が雇用を奪う」という脅威論である。
 その脅威論を裏打ちするような報告も、相次いでいる。
 たとえば、英オックスフォード大学でAI研究に携わるマイケル・オズボーンらが2013年に発表した論文「雇用の未来」は、AIによるオートメーション化によって、「米国の労働者の47%が10年後か20年後には仕事を失う恐れがある」としていた。
 また、三菱総研が今年(2017年)初頭に発表した試算では、2030年の時点で、AIの普及・活用による雇用の減少は240万人にのぼる、としている。
 さらに、駒沢大経済学部講師でAIにもくわしい井上智洋氏は、近著『人工知能と経済の未来――2030年雇用大崩壊』(文春新書/2016年)で、「機械が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年くらいには、全人口の1割ほどしか労働していない社会になっているかもしれません」と、衝撃的な予測をしている。
 しかし一方で、「AIの活用によって社会の生産性は上がり、いまより豊かな社会になる。そして、単純作業を機械まかせにすることで、人間はより創造的でやりがいのある仕事に集中できる」という楽観論をとるAI研究者も少なくない。
 いずれの見方を取るにせよ、AIの発展が我々の雇用のあり方・働き方を激変させていくことは間違いない。では、どのように激変するのか? 『AIの遺電子』は、その一つのヴィジョンを示している。
 このマンガの世界では、国民の1割を占めるヒューマノイドが、落語家や料理人など、現時点では「ロボットにはとてもできない」と考えられている職業にまで就いている。その一方、純粋に道具や商品として作られたロボットたちも、社会の一部を成している。
 生身の人間が何割くらい労働しているのか、細かな設定は明らかではないが、人間/ヒューマノイド/ロボットが各々の役割を果たして「共生」するさまは、なかなか楽しそうである。その楽しげな様子それ自体が、「AIが雇用を奪う」という脅威論への、巧まざる回答とも思える。
 将来、AIの発展によって「全人口の1割ほどしか労働していない社会」が現出したとしても、それがディストピアであるとはかぎらず、むしろある種のユートピアになるかもしれない――そんな希望を抱かせるSFマンガだ。