Book Review

マンガde社会問題

文/前原政之(フリーライター)

第14回:郷田マモラ『モリのアサガオ』

死刑制度の是非について考えるための、最良の素材

 日本弁護士連合会(日弁連)は、2016年10月に開かれた「人権擁護大会」で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言を賛成多数で採択した。日弁連が死刑廃止の立場を明確にしたのは、今回が初だ。
 一方、死刑存続を支持する側からは宣言に対する反発の動きが広がるなど、死刑制度をめぐる議論が時ならぬ高まりを見せている。
 そこで今回は、死刑制度の是非を考えるための最良の素材ともいうべき『モリのアサガオ』を取り上げよう。
 主人公は、拘置所の死刑囚舎房に配属された新人刑務官・及川直樹。タイトルの「アサガオ」とは、及川に向かって死刑囚の一人がつぶやいた、次の言葉に由来する。
「死刑執行は、いっつも午前中に済んでしまいよる……わしらは、朝早う咲いて昼までにくたばってしまうアサガオの花といっしょやがな」(句読点は引用者補足。以下同)
 また、「モリ」とは、及川の恋人・麻美が言う「拘置所って町の中にあるけれど、そこだけが深い森の中みたいに閉ざされているんやね」との言葉に由来する。死刑囚たちの暮らしが一般の人々に知らされず、ヴェールに包まれていることを深い森に喩えたのだ。

『モリのアサガオ』アクションコミックス (双葉社)

主人公とともに読者も迷いつづけるマンガ

 やがては自ら職務として死刑を執行する立場となる及川は、多くの死刑囚と日常的に接するなかで、死刑の是非について思い悩み、物語の序盤から終盤まで、「賛成」と「反対」の間を揺れ動きつづける。
 たとえば、冤罪死刑囚の存在を知って「冤罪があるかぎり、死刑なんて、あってはいけないんや」と思うこともあれば、「死刑という極限の罰があるからこそ、まったく反省の色がなかった確定囚の心が変化することもあるんやで。(中略)残された遺族のためにも、確定囚自身のためにも、『死刑』は必要不可欠なんや」と思うこともある……という具合だ。
 何より、死刑囚・渡瀬満との間に育まれていく友情が、及川を深く迷わせ、悩ませる。このマンガの副題は「新人刑務官と或る死刑囚の物語」であり、渡瀬はもう1人の主人公でもあるのだ。
 両親を惨殺した犯人を復讐のために殺し、死刑判決を受けた渡瀬は、及川と同い年で誕生日も5日違い。しかも、2人とも少年時代に野球をやっており、及川は「すごいピッチャー」だった渡瀬のことを知っていた。
 不思議な縁に導かれ、刑務官と死刑囚という立場の違いを超え、2人は親友となる。このマンガは、2人の出会いから渡瀬の死刑執行による別れまでの、8年間に及ぶ友情の物語でもあるのだ。
 死刑を前にして、渡瀬が及川に言う次のような最期の言葉は、読む者の胸を打つ。
 「もしも…もしも生まれ変わったなら、直樹といっしょに野球がしたいな」
 そして及川は、親友の死刑を執行する前夜まで、死刑の是非について悩みつづけるのだ。
 そのような構成が取られるからこそ、『モリのアサガオ』は「死刑制度の是非について考えるための最良の素材」になり得る。及川の迷い・戸惑い・呻吟に合わせて、読者の心も揺れ動き、死刑制度について考えつづけることになるからだ。
 廃止派・存置派のどちらにもあからさまな肩入れをしない構成は、死刑というデリケートなテーマを無難に扱うための、作劇上のテクニックでもあるだろう。だがそれ以上に、作者が“自分は廃止・存置いずれの立場か?”を迷いつつ描きつづけたことの反映であった。作者の郷田マモラ氏が、インタビューで次のように述べているのだ。
 「連載開始前に1ヵ月ぐらい思い悩んだのですが、結局(存置か廃止かの)答えが出なかった。ならばわからないまま始めて、新人刑務官の及川というフィルターを通して、描き進めながら考えていこうと思いました」(森達也著『死刑』角川文庫)

死刑の実態を視覚的に疑似体験する意義

 元刑務官で、死刑執行に立ち会った経験も持つノンフィクション作家・坂本敏夫氏は、死刑に関する著作を多く持ち、『モリのアサガオ』がテレビドラマ化された際には「刑務監修」を務めた。
 その坂本氏は、著書『死刑執行命令――死刑はいかに執行されるのか』(日本文芸社)の中で、「死刑のあり方・存廃を論じるのは死刑確定囚の処遇がどのように行なわれているか熟知した上で行なうべき」と述べている。
 もっともな主張である。だが、法務省は死刑に関する情報公開に消極的であり続けてきた。一般人が死刑囚の処遇を「熟知」することは難しい。
 そうしたなか、フィクションとはいえ、『モリのアサガオ』が死刑の実態を鮮烈に描いたことの意義は大きい。絵とストーリーによって、読者は死刑囚の生活と死刑のありようを視覚的に擬似体験できるのであり、そのインパクトは活字の本の比ではないからだ。
 『モリのアサガオ』が、マンガという表現ジャンルの持つ力によって、日本人が死刑の問題をもっと真正面から考える契機になればよいと思う。
 なお、公明党は現在、死刑廃止を含めた刑罰制度の見直しを進めている段階であり、党としての死刑に対する明確なスタンスは、まだ決定していない。
 ただ、弁護士でもある漆原良夫代議士(党中央幹事会会長)が、「共に死刑を考える国際シンポジウム」(2016年10月)で「死刑廃止の是非を考える上で一番大事な観点は生命の尊厳」と述べたとおり、生命の尊厳を重んじることを大原則として見直しに取り組んでいることは間違いない。

コラム/世界の趨勢は死刑廃止。そのなかで特殊な日本の状況

 英『エコノミスト』紙などで活躍するジャーナリストのデイヴィッド・マックニール氏は、インタビューで「日本で死刑制度存続を望む人が多数派なのはなぜだと思うか?」と問われ、次のように答えている。
 「ひとつには、日本の社会が死刑の問題から目を背けていることがあると思います。(中略)日本人の多くはこの国が未だに死刑制度を維持していることが世界的に見ても特殊だということを知らないし、死刑の実態についてもほとんど知らないように思います」(『週プレ外国人記者クラブ』2016年11月3日配信)。
 これはもちろん、犯罪被害者遺族など、信念を持って死刑存続を望む人たちのことではあるまい。問題は、死刑の実態や世界的な死刑廃止の潮流を知らないまま、“ただなんとなく死刑に賛成している人々”なのだ。
 世界の趨勢は、着実に死刑廃止の方向に向かっている。
 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査によれば、死刑完全廃止国は1960年には8ヶ国のみであったが、2015年には102ヶ国に上っている。死刑を定めていても長年執行していない国などの「事実上廃止国」を加えれば、140ヶ国(世界の3分の2以上)に上る。2015年に死刑を執行した国は世界で25ヶ国のみであり、日本もその一つだ。
 「先進国首脳会議」に集う「G7」で死刑を存続しているのは、日本と米国のみ。その米国でも、3分1を超える州が死刑を廃止している。EU(欧州連合)は死刑廃止を加盟条件としており、ヨーロッパ唯一の死刑存置国・ベラルーシはEUに非加盟である。
 もっとも、「死刑廃止が世界的趨勢だから、日本も廃止すべきだ」と短絡するつもりはない。国民の多くが、死刑をめぐる国際的潮流や日本の置かれた現状を知ったうえで、存廃について議論されるべきだということだ。日本の死刑制度を真正面から描いた稀有なマンガ『モリのアサガオ』は、そのための一助となり得る。