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マンガ de 社会問題
第10回 日暮キノコ『ふつつか者の兄ですが』
文/前原政之(フリーライター)「ひきこもり問題」を、青春マンガの鋳型に入れた秀作
- 講談社「モーニングKC」
「ひきこもり」は、この問題の第一人者と目される精神科医・斎藤環氏によれば、次のように定義される。
「六ヵ月以上、自宅に引きこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」(斎藤環著『社会的ひきこもり』PHP新書/1998年刊)
2010年に内閣府が発表した調査によれば、日本にはいま、約70万人の「ひきこもり」がいるとされる。データがやや古いが、その後大がかりな全国調査は行われていないため、関連書籍などではこの「約70万人」という数字がよく用いられる。
ひきこもり人口の正確な把握は難しいが、日本におけるひきこもりが社会問題と呼び得る規模になっていることはたしかである。
マンガの世界にも、ひきこもりの問題を扱った作品は、すでに少なからずある。ただ、ひきこもりを極端に戯画化・デフォルメして描く作品(古谷実の『サルチネス』など)が目立ち、社会問題としてストレートに描いたものはごく少ない。
その中にあって、今回取り上げる日暮(ひぐらし)キノコの『ふつつか者の兄ですが』は、私の知るところでは最もリアルにひきこもり問題を描いたマンガである。
主人公・田処志乃(たどころ・しの)は、ひきこもりの兄を持つ女子高生だ。
この作品は当初、ひきこもりの男性を主人公として構想されたという。他のマンガ誌に構想を持ち込んだところ、「話が地味すぎる」という理由でボツにされたのだとか。その構想を、妹を主人公にする形にアレンジし、現在の連載誌『モーニング・ツー』で陽の目を見たのだ。
そうした経緯が、結果的には本作の魅力に結びついた。ひきこもり本人ではなく、その親でもなく、妹の視点から描いたことで、類似作にはない客観性と重層的な深みが生まれたのだ。
これは、恋にときめき、バイトに励むフツーの女子高生を描いた青春マンガでもある。ただし、主人公にひきこもりの兄がいることが、その青春に特異な陰影を与えている。ひきこもりという社会問題を描きながらも、作品自体は随所に笑いをちりばめた「青春コメディ」だという、ひねりの効かせ方が斬新だ。
自伝的作品ゆえのリアリティと、繊細な心理描写
ヒロインの志乃は、高校の同級生たちにひきこもりの兄がいることを言い出せず、自分はひとりっ子だとウソをついている。ところが、4年間ひきこもっていた兄が、突然部屋から出てきて、社会復帰に向けての努力を始める。
ひきこもりを描いたよくある物語なら、部屋から出ることはいちばん感動的な場面だろう。だが、この作品ではそうではない。兄が部屋から出ることは、志乃にとって、自分のウソが友人たちにバレるリスクが生じる「ピンチ」なのだ。
だからこそ、バイトからの帰りが遅い志乃を心配して迎えに行った兄に、志乃は思わずこう言ってしまう。
「勝手に出てきたクセに、兄貴ヅラしないでよ。あたし、バイト先でも学校でもひとりっ子ってことにしてんの。だからさぁ、こういうのすっごい迷惑!!」(句読点は引用者補足)
しかしそのあとで、志乃は自分の口をついて出た言葉の冷たさに胸を痛める。そのようなひねり方がうまいし、この作者は登場人物の心理描写が繊細で巧みだ。
日暮キノコへのインタビュー記事によれば、志乃の兄・保(たもつ)のモデルは彼女の兄なのだという。
「保と同じで、うちの兄も引きこもりだった時期があるんです。今は妹のサイン会に来るぐらい元気なんですけど(笑)、私が中学高校ぐらいかな? 自分の部屋に引きこもっている時期が何年かあって」(『ダ・ヴィンチ』2016年3月号)
志乃の心の揺れ動きや、保の言動の一つひとつがすこぶるリアルなのは、作者の実体験がベースとなっているからなのだ。
連載は、まだ道半ば。コミックスの既刊2巻では、保がバイトを始めて悪戦苦闘するなど、社会復帰途上の様子が描かれる。
これは、1人のひきこもり男性(ひきこもりは男性に多い)の“生き直し”の物語であり、妹が兄と力を合わせて家族を再生させていく物語でもある。ひきこもり問題への理解を深めるとともに、ひきこもりの家族を持つ読者を勇気づけてくれるマンガだ。