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マンガ de 社会問題
第6回 さそうあきら『花に問ひたまへ』
文/前原政之(フリーライター)視覚障害者の日常を巧みに織り込んだ、清冽なラブストーリー
- 『花に問ひたまへ』アクションコミックス (双葉社)
聴覚障害者の少女をヒロインとしたマンガ『聲(こえ)の形』(大今良時)が大ヒットするなど、近年は障害者が主人公となるマンガも少なくない。
だが、障害者の世界を描くマンガのパイオニア・山本おさむの著書『「どんぐりの家」のデッサン――漫画で障害者を描く』(岩波書店)によれば、彼がこの分野の初作品『遙かなる甲子園』の連載を始めたころ(1988年開始)、障害者を主人公にすることはマンガ界のタブーであったという。
山本を筆頭に、真摯なアプローチで障害者を描くマンガ家が増え、やみくもなタブー視が解消されてきたことは喜ばしい。
今回取り上げる『花に問ひたまへ』も、視覚障害者の青年を主人公とした作品である。作者のさそうあきらは、それぞれ映画化もされた音楽マンガの傑作、『神童』『マエストロ』で知られる名匠。
この『花に問ひたまへ』は、『神童』や『マエストロ』に比べたら地味な作品であり、さそうあきらの代表作にはならないかもしれない。それでも、さわやかな感動を呼ぶ佳編である。
山本おさむの『どんぐりの家』などが障害者の世界を真正面から描いているのに対し、本作はラブストーリーである。生まれつき目の見えない青年・一太郎と、晴眼者(視覚障害者の対義語)の若い女性・ちはやの恋を描いているのだ。
ただ、そのラブストーリーの中に、視覚障害者の日常が巧みに織り込まれている。2人の出会いからして、駅のエスカレーターを駆け上がっていた、ちはやが、一太郎の持つ白杖を誤って蹴落としてしまう、というものなのだ。
ヒロイン・ちはやは、アルコール依存症の父親を抱え、貧しい生活を支えるため、ダブルワークで身を粉にして働いている。自らの不遇にささくれだった彼女の心が、一太郎と周囲の人々のあたたかさに触れ、少しずつ解きほぐされていく。
視覚障害者の一太郎が、その大らかな心によって、ちはやに生きる希望を与えていくという展開が面白い。「障害者は手を差し伸べられる側」というステレオタイプな思い込みを、さそうあきらは鮮やかに逆転させてみせたのだ。
「心のバリアフリー」のきっかけとなるマンガ
コミックスの巻末には、「京都府立盲学校の先生方」などと、取材協力者の名が列記されている。綿密な取材に基づいて描かれた視覚障害者の暮らしのディテールが、すこぶるリアルだ。
たとえば、一太郎が駅のホームから転落し、見知らぬ人に助けられる場面がある。そのとき一太郎がちはやに言うセリフは、「盲人の友人はみんな一回はホームから落ちてるんだけどさ」というものだ。
じっさい、日本盲人会連合が2011年に行ったアンケート調査によれば、視覚障害者の約4割が「(ホームから)転落したことがある」と答え、約6割が「転落しそうになったことがある」と答えている(立花明彦著『何かお手伝いしましょうか ~目の不自由な人への手助けブック~』産学社/2014年)。
また、視覚障害者の友人が工事用カラーコーンにつまずいて転び、ケガをする場面もある。「いつもないもの」が道にあると、視覚障害者は不意をつかれてしまうのだ。そのとき一太郎は、サッと財布からバンドエイドを取り出す。「オレらこういうことありがちなんで、持ち歩いてるんだ」と……。
視覚障害者にとって、街は危険に満ちた場所でもあるのだ。
ほかに、「傘さすと音が聴きとりづらくなるので……」と、一太郎が少しの雨なら傘をささない、という描写もある。そのように、視覚障害者にしかわからないことが、読者に確かなリアリティで伝わってくる作品なのである。
全盲の米国人マイケル・ヒングソン氏(「9・11」のとき、世界貿易センタービルの78階から盲導犬と奇跡の生還を遂げたことで知られる)は、著書の中で「視覚障害はハンディキャップではない。本当のハンディキャップとは、人々の視覚障害者に対する差別から生まれるものだ」と述べている。
視覚障害者がどのような危険と不便にさらされているかを、晴眼者の側がよく知り、的確に手助けできれば、障害者のハンディキャップを軽減させることができる。それは、段差の解消などの物理的バリアフリーを補う、「心のバリアフリー」とも言える。『花に問ひたまへ』は、そのためのきっかけを与えてくれる作品でもある。