Book Review

マンガde社会問題

文/前原政之(フリーライター)

第5回:逢坂みえこ『プロチチ』

アスペルガー症候群の父親の成長(育自)を描く、異色の育児マンガ

「育児マンガ」は、いまや日本のマンガ界に確固たる1ジャンルを形成している。マンガ家自身の育児体験を描いたエッセイマンガを中心に、コメディからシリアスなものまで、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の趣があるのだ。
 母親を主人公に据え、育児中の母たちの参考になることを企図した作品が多いなかにあって、父親を主人公にした育児マンガもわずかながらある。今回紹介する『プロチチ』も、その1つである。
 『プロチチ』は、すべての育児マンガの中でひときわ異彩を放っている。というのも、主人公の若い父親・徳田直(なお)を、「アスペルガー症候群」(発達障害の一種)として設定しているからだ。
 アスペルガー症候群は、何よりも「対人関係の障害」だと言われる。「空気を読む」のが苦手、社会の決まり事に無頓着、他人に無関心、思ったことをすぐ口に出してしまう……などというアスペルガーの人に見られる特徴は、もっぱら対人コミュニケーションの困難として現れるからだ。 
 アスペルガーゆえ、強い「生きづらさ」を抱えてきた直は、無職の状態にあり、生活は雑誌編集者の妻・花歩(かほ)の収入で成り立っている。
 花歩の育児休暇明け・職場復帰を機に、直が0歳児の息子・太郎の世話を任されるところから、物語は始まる。慣れない育児に奮闘するなか、直は次第に「父親としての使命」に目覚めていく……。
 「『育児』は『育自』」だと、よく言われる。“さまざまな大変さもある育児という体験を通じて、親自身も成長する”という意味合いであろう。『プロチチ』はまさに、育児を通じて直が人間的に成長し、障害を乗り越えていくという、「育自」のプロセスを描いたマンガでもあるのだ。
 花歩が直の実母に言う、次のようなセリフが強い印象を残す。 「この子育ては直ちゃんにとって、人間関係のスパルタ塾みたいなもんです。これまでつき合いたい人としかつき合わず、興味ない人には返事もしなかった直ちゃんが、『愛想よく』とか『感じよく』なんてこと軽蔑さえしてた直ちゃんが、太郎のために、太郎と係わる全ての人とうまくやるため、えげつない努力をしてるんです! 私たちにはわからない程のものすごい頑張りなんですよ」(コミックス4巻より/句読点は引用者補足)

『プロチチ』イブニングKC (講談社)

育児マンガの形式を借りた“アスペルガー入門”

『プロチチ』は、単に育児マンガとして読んでも一級品だが、それ以上に、“育児マンガの形式を借りたアスペルガー症候群入門”として優れている。
 アスペルガー症候群とはどのような障害で、当事者がどんな困難を抱えているか? 家族や周囲の人たちがどう接すれば、本人のもつ能力を引き出せるか? ……そのような、アスペルガーをめぐる一通りの知識を、読者は得ることができるのだ。
 主人公の直は、第1話で初めて自分がアスペルガー症候群であることに気付く。 アスペルガーは、知的障害を伴わない高機能自閉症の一形態(「自閉症スペクトラム」の一部)である。むしろ、アスペルガーの人は学校で成績優秀なケースが多いという。ゆえに、周囲も本人も障害に気付かないまま成人することが少なくない。直も、一流大学卒と設定されている。
 また、直がいくつかの会社を周囲に疎まれて退職し、無職であると設定されているように、アスペルガーの人たちへの就労支援は大きな社会的課題である。
 そのように、直というキャラクターを通じてアスペルガーへの理解が深まるマンガなのだが、さりとて、安手の学習マンガのように過度に説明的ではない。
 キャリア30年超のベテラン・マンガ家である逢坂(おうさか)みえこは、練達のストーリーテリングによって、本作を感動的で面白いマンガに仕上げている。ほどよくコミカルな作品でもあり、随所に笑いがちりばめられている。笑いと涙のストーリーを楽しむうち、自然な形でアスペルガーについて学べる秀作なのである。
 

コラム/アスペルガーの人たちの優れた才能を、いかに活かすか

梅永雄二著『大人のアスペルガーがわかる――他人の気持ちを想像できない人たち』 (朝日新書/2015年)によれば、「IT(情報技術)の天才にはアスベルガー症候群が多いと言われ」ており、そのためにアスペルガーは「シリコンバレー症候群」と呼ばれることもあるという。たとえば、アップルの創始者である故スティーヴ・ジョブズも、アスペルガーだったのではないかと言われているとか。
 また、歴史的偉人たちの中では、ミケランジェロ、ゴッホ、バルトーク(作曲家)、ニュートン、アインシュタイン、グレン・グールド(ピアニスト)、ラマヌジャン(数学者)などが、アスペルガー症候群の特性をもっていたと考えられるという。
 アスペルガーの人は、総じて強靭な忍耐力・集中力・完璧主義などの特性をもっている。それらが長所として正しく発揮されていったとき、時に天才の出現にもつながるのだろう。
 しかし現実には、「空気が読めない」などという“負の特性”のほうが前面に出ることで、アスペルガーの人たちが社会から“排斥”されてしまうケースも多い。その中には、正しく発揮されていれば社会を変えたほどの才能がスポイルされてしまった例も多いに違いない。
 「社会を変える天才」などという大げさな話でなくても、アスペルガーの人たちのもつ能力が適切に発揮される環境整備をすることは、広く社会にとっても有益なことだろう。そのためには、世の人々のアスペルガー症候群への理解を深めることが何より大切だ。この『プロチチ』は、その点でも意義深い作品といえる。
 『プロチチ』の物語の中で、直は街の小さな書店に再就職を果たす。
書店の店長は、並外れた集中力や記憶力など、直の長所を巧みに引き出していく。その姿は、「アスペルガーの人に職場でどう活躍してもらえばよいか」のお手本のようだ。
 また、妻・花歩の直に対する接し方は、「アスペルガーの家族にどう接するべきか」のお手本ともいえる。
 アスペルガーの人たちの優れた才能を、いかに活かすか――この大きな社会的課題を考えるヒントが、随所にちりばめられたマンガなのである。