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「ブック羅針盤」
第5回 感染症を「正しく怖がる」ための本
文/山路正晃(ジャーナリスト)あっという間に世界を覆った、「新型コロナウイルス感染症/COVID-19」(以下、コロナと略)――。
現時点(2020年4月)でまだ収束は見えない状況だが、ここでは感染症について考えるために役立つ本を紹介してみよう。
感染症――とくにコロナのような未知の部分が多い新興感染症への対応は、「正しく怖がる」ことが大切だと言われる。これは、寺田寅彦(戦前の物理学者・随筆家)の随筆にある「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」という一節をふまえた言葉だ。
感染症の危険性を軽視して怖がらないことは問題だが、いたずらに怖がりすぎるのもまた問題なのである。以下に挙げる4冊はいずれも、「感染症とはどのような存在か?」を知ることで「正しく怖がる」ための本といえる。
なお、コロナ禍以降に刊行された〝コロナに的を絞った本〟が一冊も入っていないが、これには理由がある。書籍として刊行するには、原稿完成後、早くとも1ヶ月はかかる。そのため、コロナをめぐる状況が時々刻々と変わるいまの状況では、本になるころにはすでに情報が古くなってしまうのだ。
そのような事情から、コロナ禍以前に刊行された本に絞ったが、現状を考えるうえで示唆に富むものばかりである。
また、コロナ禍以降、感染症をテーマにした本は総じてよく売れており、品切れになっているケースが多い。以下の4冊にはいずれも電子書籍版があり、紙版が品切れであっても入手可能だ。
1.『感染症の世界史』 石弘之著(角川ソフィア文庫/1,080円+税)
- 感染症の世界史
人類誕生から現代までの20万年間に展開されてきた、感染症と人類の戦いの歴史を鳥瞰した概説書。
類書は多いが、その中では本書がいちばんオススメ。元新聞記者の著者ならではのわかりやすい本になっているからだ。著者は感染症の専門家でも歴史家でもないが、そのことはむしろ本書の美点につながっている。科学者や歴史家が書いた本にありがちな論文臭が皆無で、読みやすいのだ。ウェブの連載コラムがベースになっているためか、面白い読み物にしようとする工夫も随所に見られる。
著者は、ジャーナリスト/研究者として環境問題に長年関わってきた、斯界の重鎮。アフリカ、アマゾン、ボルネオなどで長く働いていたこともあり、「さまざまな熱帯病の洗礼を受け」てきた。「マラリア四回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症、ダニ発疹熱各一回」(「あとがき」)を、これまでに経験してきたそうだ。
そのように感染症の世界を身をもって知り抜いた著者が、「病気の環境史に挑戦した」のが本書なのだ。三部構成で、最後の「第三部 日本列島史と感染症の現状」では、〝感染症の日本史〟を概観している。
「振り返ってみると、各世紀にはそれぞれの時代を背景にして、世界的に流行した感染症があった。一三世紀のハンセン病、一四世紀のペスト、一六世紀の梅毒、一七~一八世紀の天然痘、一九世紀のコレラと結核、二〇~二一世紀のインフルエンザとエイズである」
今後、本書の増補改訂版が出るとすれば、21世紀を代表する感染症にコロナが加わることだろう。
通読すると、世界も日本も、感染症との戦いが歴史を大きく変えてきたことを痛感させられる。たとえば――。
江戸時代後期に起きたコレラの大流行のうち、1858年からの「安政コロリ(コレラ)」は、「ペリー艦隊の一隻のミシシッピ号にコレラに感染した乗組員がいたため、長崎に寄港したときにコレラが発生した」ものだった。「江戸に飛び火して三万人とも二六万人ともいわれる死者が出た」。その恨みが黒船や異国人に向けられ、攘夷思想の高まりの一因となったという。
アステカ帝国崩壊の大きな要因となったのは、スペイン人が持ち込んだ天然痘だった。
20世紀初頭の世界を襲ったパンデミック(感染爆発)――「スペイン風邪」(後年、インフルエンザと判明)は、全世界で2000万~4000万人の死者が出たといわれている。とくに軍隊は感染症が発生しやすく、あまりにも多くの兵士が感染して命を落としたために、第一次世界大戦の終結を早めた。だが、「各国から参戦した兵士は、ヨーロッパ戦線で感染して本国にウイルスを持ち帰ったために、一挙にインフルエンザのグローバル化が起きた」という。
……以上はほんの一例だが、そのように、感染症の猛威は歴史を変え、世界を変えてきたのだ。
そしていま、コロナ禍によってまさに世界は大きく変わりつつある。その転換点の只中にいる我々が、本書に詳述された「感染症の世界史」から学ぶべきことは多いだろう。
2.『知っておきたい感染症――21世紀型パンデミックに備える』 岡田晴恵著(ちくま新書/820円+税)
- 知っておきたい感染症――21世紀型パンデミックに備える
コロナ禍発生後、感染症の専門家としてテレビ等に引っ張りだこの著者が、2016年に上梓した「21世紀型パンデミック」の概説書である。
「1」の『感染症の世界史』にも現代についての言及はあるが、そこをいっそう深く掘り下げた本書を読むことで、21世紀ならではのリスクについての理解が深まるだろう。
かつて我々は、文明が進歩し、医療や科学が発達すれば、感染症はなくなっていくものだと考えていた。ところが、21世紀突入後、感染症のリスクはむしろ高まっている。そのことを著者は、「21世紀はまさに、人類と感染症との闘いの時代であるのかもしれない」と表現し、次のように言う。
「21世紀は、医療体制が充実し、衛生環境が行き届いている先進諸国であっても、ウイルスの危険と無縁ではいられない。むしろ、人口の過密化、高速大量輸送を背景とし、不特定多数の人々が集っては離散する都市の特性が、感染症に対するリスクを高めている。(中略)原因の病原体は、思いも寄らない遠隔地から航空機で運ばれ、または高速鉄道でやってきた、新たな感染症であるかもしれない。そして、いったん発生してしまった感染症は、密集した人々の中で感染伝播を効率良く繰り返し、さらにそれが拡散して、同時多発的な大流行を引き起こす」
そのような、「21世紀型パンデミック」のリスクについて、エボラウイルス、SARS、MARS、デング熱などの具体例を挙げて解説している。とくに、著者がほかの著書でもくり返し警告を発してきた、「H5N1型(強毒型)鳥インフルエンザ」が人型の新インフルエンザに変異してパンデミックを起こす危険性については、一章を割いて詳述されている。
また、「新型コロナウイルスの流行拡大の危険性」という項目があるなど、現在の状況を予見したような記述も随所にある。
感染症の知識を得て、予防対応をするための「知識のワクチン」として、高い価値を持つ好著である。
3.『検疫官――ウイルスを水際で食い止める女医の物語』 小林照幸著(角川文庫/720円+税)
- 検疫官――ウイルスを水際で食い止める女医の物語
「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞作家が、 日本の検疫史上初の女性検疫所所長となった医師・岩崎惠美子の半生を描く医学ノンフィクションである。
時節柄、検疫官への関心の高まりもあり、本書も旧作(元の単行本は2003年刊)にも関わらずよく売れているようだ。
検疫官とは、国内に13ヶ所ある検疫所(厚労省所管)に勤務し、「国内に入る人間がマラリアやコレラなど国内にはない感染症などに罹患していないかを監視し、罹患していれば水際でくい止める」仕事に当たる国家公務員である。所長には医師が着任する。
今年2月、横浜港に入港したクルーズ船「ダイアモンドプリンセス号」の乗客にコロナ感染が確認されたことから、横浜検疫所の検疫官が船内に乗り込み、乗船者の健康状態のチェックを実施する「臨船検疫」が行われた。
このニュースで検疫官への関心が一気に高まったわけだが、本書を読むと、検疫官の仕事内容がよくわかる(岩崎自身が臨戦検疫に立ち会ったエピソードも紹介されている)。感染の危険と隣り合わせになりながら、感染症を水際で食い止める検疫官たちの奮闘に、頭の下がる思いがする。
検疫官の仕事自体は地味だ。しかし本書は、岩崎が検疫官になる前にインド、タイ、パラグアイで感染症の臨床経験を積んだ過程や、ウガンダで「エボラ出血熱」流行の現場に臨んだ様子を詳述することで、ドラマティックに構成されている。とくに、日本人医師として初めてエボラの治療に当たった日々を描いた第4章は、たいへん感動的で本書の圧巻となっている。
また、岩崎は現場から「検疫所改革」を推進した人でもあり、日本の検疫のあり方について考えさせる本にもなっている。
著者の小林は明治薬科大学の非常勤講師(生薬学担当)も務めるなど、医学・薬学の知識も豊富。感染症の世界を扱った作品は、本作以外にも多い。今後、著者がコロナ禍と最前線で戦う人々を描いたノンフィクションを手がけるとしたら、本書がその雛形になるかもしれない。
4.『ペスト』 アルベール・カミュ著、宮崎嶺雄訳(新潮文庫/750円+税)
- ペスト
70年以上前に発表されたこの作品が、コロナ禍が世界に広がるにつれ、突然売れ始めた。新潮文庫版は、「近年の増刷は平均で年間5000部程度だった」のに対し、「今年2月以降だけで30年分に当たる15万4000部を増刷した」という(時事通信4月8日配信記事)。日本に限った現象ではなく、コロナ禍の深刻な影響を被っているイタリア、フランス、英国などでもベストセラーになっている。
そしてそれは、『ペスト』が現在のコロナ禍とオーバーラップする作品であるからにほかならない。
『ペスト』は、1940年代のアルジェリア(当時はフランス領)の港町・オラン市に、致死性の高い伝染病・ペストが発生したという設定の物語である。
感染拡大を防ぐため都市封鎖されたオラン市を舞台に、人々がペストと闘い、多くの人が命を落としていくさまが描かれる。主人公は医師ベルナール・リウーだが、それ以外にも新聞記者・聖職者・役人・犯罪者など、多彩なキャラクターがいきいきと描かれる群像劇だ。
フランス文学者の中条省平は、『ペスト』という作品の現代的意義について、次のように述べている。
「『ペスト』では町全体の監禁状態が描かれますが、そこで経済活動ができなくなってしまったときに、人間ははたしてどう対応するのか、という報告書でもあります。この点も、『ペスト』という小説がもつ、きわめて現代的な意義ではないでしょうか。地震や原発事故が起きて経済システムが停止したらどうなるのか? 日本が置かれた状況ともそっくりです」(「100分 de 名著/アルベール・カミュ『ペスト』」NHK出版)
――これはコロナ禍以前の発言だが、現在の状況にもそっくりあてはまる。
たとえば、『ペスト』には、封鎖された都市で暮らす住民の心情を「自宅への流刑」と表現する一節がある。これは、「緊急事態宣言」以来の自粛生活を続ける我々の心情を、見事に表した言葉にも思える。
また、「今度のペストは観光旅行の破滅であった」という一節は、観光業界が深刻な打撃を受けている現状を予見したようだし、ペスト予防に役立つというデマのせいでハッカのドロップが「薬屋から姿を消してしまった」というくだりは、コロナについてのデマが横行する現状を彷彿とさせる。
そして、年老いた夜警手(警備員)が言う次のようなセリフは、東日本大震災後にコロナ禍を経験している我々日本人にとって、ひときわ心に響くものだろう。
「まったく、こいつが地震だったらね! がっと一揺れ来りゃ、もう話は済んじまう……。死んだ者と生き残った者を勘定して、それで勝負はついちまうんでさ。ところが、この病気の畜生のやり口ときたら、そいつにかかってない者でも、胸のなかにそいつをかかえてるんだからね」
災厄の終わりが見えない点で、コロナ禍は大震災とは違った恐ろしさ・苦しさをもたらす――そうした本質を鮮やかに浮き彫りにするセリフである。
そのように、『ペスト』という作品の随所に、コロナ禍のいまだからこそ心に刺さる言葉がちりばめられている。
優れた文学には時代を超えた普遍性があることを、『ペスト』の時ならぬベストセラー化は、私たちに改めて教えてくれた。