Local Report

地域の未来(あす)へ―貢献する議員・党員ネット発信で広がる共感

多彩な発信で信頼の輪拡げるスピーディーな対応が突破口に

奈良県平群町 窪和子議員

奈良県平群(へぐり)町--奈良県の北西部に位置するこの町は、信貴山(しぎさん)、生駒山、矢田丘陵に囲まれ、昔から「平群谷」と呼ばれるような盆地となっている。百人一首にも出てくる竜田川が流れ、古事記や万葉集などにも「平群の山に」と詠(うた)われるほど、歴史と自然に恵まれた町である。東大阪市と接し、大阪への通勤圏として発展してきた人口約2万人のこの町を舞台に活躍しているのが窪和子(くぼ・かずこ)議員である。

▲手作りの実績ポスターは実績ができるたびに町内約80カ所に張り出している

窪さんのお宅は、JR王寺駅から車で10分ほど。長い坂を登り切ったところにある。
夫と長男(30歳)、義父の4人暮らし。議員として多忙の毎日だが、どんなに忙しくても食事は欠かさず作る。いつも支えてくれている家族への感謝の意味も込めて。

「私、しんどいと思ったことないんです」。出迎えてくれた窪さんは、何事にも前向きで、話していると自然とこちらも元気になってくる。町民の皆さんのお役に立つためには何をすれば良いのかと、常に考えている。「毎日毎日、反省ばかりです」と自嘲気味に話すが、常に挑戦を続けていることの証(あかし)でもある。

苦手だったITに挑戦。HP、FBだけでなく手作りのポスターも

▲苦手だったスマホやタブレットにも挑戦し、空いた時間を利用して情報発信を続ける窪さん

住民の皆さんに役立つ情報を発信しようと窪さんがホームページを開設したのが2006年。当時はIT音痴で「映画のETとITの違いも分からなかった」という。しかし、果敢に挑戦し、今や党県本部のIT推進役を務めるまでに。

ホームページ開設当初は、あまり手応えを感じなかったが、2期目の選挙で多くの人から「窪さん、ホームページ見てますよ。頑張ってくださいね」と言われた。得票数も前回より153票増えて1,135票の2位当選。現在3期目となるが、3期目の選挙でも1,000票を超え2位当選している。ホームページの重要性を感じて以来、その必要性を同僚の議員にも訴え、サポートするようになった。窪さんのホームページには、毎日200人が訪れている。

さらに2年前からフェイスブックも開始。携帯電話もスマートフォンに買い替え、やり方を覚えるのに苦労しながらも、随時、情報発信するようにしている。窪さんのフェイスブック

フェイスブックについて聞くと「たまにしか会えない人がしょっちゅう会っている感覚なんです。親近感が継続する。これが大事だと思いました」とその良さを語る。

もちろんネットだけの世界では終わらない。フェイスブックを通して地域の住民が困っていると聞けば、直接連携を取り、現場へと駆けつけ、即反応する。

現在では、フェイスブック、ホームページ、メルマガ、ミニコミ誌や、チラシ、そして、手作りの実績ポスターを街の掲示板に貼り、情報を発信している。発信の媒体はネットからアナログまで幅広い。

「(フェイスブックやメルマガなど)それぞれのツールの中の顔は全然違いますよね。ネット選挙のこの時代に乗り遅れたらあかんなぁと。私も今年60歳になりますが、歳は関係ないですね!」と日々挑戦を続ける窪さん。

わずか1年で「車いすダンス」の普及を促進

▲車いすダンスの普及活動をしている「ジェネシスオブエンターテイメント」の皆さんと記念撮影をする窪さん(後列右から5人目)=2013/2/10奈良県障害者芸術祭

「できるだけスピーディーに対応することが誠意だと思っています」という窪さんは、障がい者と健常者がともに踊る、車いすダンスの普及にも努める。

きっかけは約1年前、となり町に住んでいた鈴木剛さん(車いすダンス世界大会8位、アジア王者)からの相談だった。それまで、鈴木さんとともに車いすダンスの普及を進めてきた「ジェネシスオブエンターテイメント」代表の坪田建一さんたちは、多くの議員に車いすダンスの普及を訴えたが大きな動きは実現しなかった。

その相談を受けた窪さんは、「夢をあきらめたらあかん!」と励まし、すぐ動く。
党のネットワーク力を活かして、鈴木さんの住む三郷町長、地元の平群町長につなぎ、その後、県知事へもつないだ。現在では、県内の公明議員とともに多くの市長や町長にも理解を広げることができ、県内の各地で公演が開かれるまでになっている。

その後も、文化芸術振興に取り組む浮島衆院議員(公明党)から文部科学大臣へもつながり、その結果、文化庁が行っている「次代を担う子どもの文化芸術体験事業」の一環として、車いすダンスが文化として紹介され、小学校や中学校で講演会が開かれるようになった。

「これがネットワーク政党の最たるもの。障がい者の文化・芸術活動への認識が社会に拡がり始めた」。窪さんの行動が突破口となり、わずか1年で大きく前進した「車いすダンス」。坪田さんは、こう語る。「この1年間、窪さんは、連日深夜まで皆の電話に出て相談を受けてくれました。また、一人ひとりに対して激励をし続けてくれました。真心からの行動に本当に感謝しています」

取材の最後に聞いた窪さんの一言が印象的だった。「どんな難しい問題でも、『できません』という言葉は今まで言ったことがありません。たとえできないことであっても、努力して動いた分は、誠意として伝わります」。

きょうも困っている人のもとへと駆けつけ、窪さんの挑戦は続く。