Local Report

地域の未来(あす)へ―貢献する議員・党員ネット発信で広がる共感

議員活動は手探りの毎日。今やるべきことに全力を!

福島県いわき市議会 柴野美佳議員

▲中学の恩師が姉妹で手作りした「吊るし雛(びな)」の展示会場を訪れた柴野議員

2012年9月、東日本大震災後に初当選した、福島県いわき市の柴野美佳(しばのみか)議員。右も左もわからない議員の世界に飛び込み、一体何から取り組んだらよいかと手探りしながらも、とにかく一人でも多くの市民の声を聞こうと市内を駆け巡っている。自身の当選直後に行われた衆議院総選挙では、公明党の得票が思うように伸びず、もっともっと議員としての発信力をつけなければいけないと痛感。そこで始めたのがフェイスブックだった。柴野さんのFB 

震災の衝撃から議員への道を決意。あの日の思いを大切に

あの日は、長女の中学校卒業式だった。お祝いを兼ねた少し遅い昼食の最中に東日本大震災が起きた。揺れがおさまった時には、ただ呆然としていた。津波被害がこんなにも大きくなるとは想像もつかなかった。生まれ育った街が一変してしまった。大災害を目の前に、人間は“何もできなかった”という衝撃が強かった。

▲津波被害を受け、久之浜第一小学校敷地内に仮設店舗で営業する「浜風商店街」に展示された久之浜の被災写真

一人では何もできないとしても、行政としてできること、守れることがきっとあるはずだ。悩みに悩んで、議員への挑戦を決めた一つの要因は、この震災の衝撃と悔しさだった。

もう一つ、大きな要因となったのは、前職だ。大学卒業後、診療放射線技師として、医療現場の最前線で約10年間勤めてきた。「放射線」を学んできたものとして、原発事故という甚大な被害があったこの時に、「自身の知識を役立てることができるのならば」という、切実な思いもあった。

     

津波被災者と原発被災者。「住んでいる人の悩みは全て聞く」

▲「浜風商店街」で相談を受けるいわき市議団

いわき市の面積は福島随一の規模。南北約60キロにわたって延びる沿岸部では、集落の多くが津波被害を受けた。今もなお、荒れ地の残る沿岸部では高台移転や区画整理事業が進行中だ。この津波被災者は「いわき市民」であり、仮設住宅に暮らしている人でも、整備が進めば暮らしなれた場所へ戻ることができる。

一方、いわき市には現在、原発事故により故郷を追われた県内の双葉地方8町村の避難者が暮らしている。その数約25,000人。いつ戻れるのかもわからない。戻りたくても戻れないかもしれない。そんな不安が消えない人たちだ。しかもいわき市に住んでいながらも元の「町(村)民」であり、「いわき市民」ではない。

「津波被災者と原発被災者。被害の種類がどうあれ、いわき市に住んでいて、困っていれば、どんな人々の悩みも聞かせていただく」。そう柴野議員は語る。いわき市民であれば、もちろんいわき市役所が相談窓口となるが、市外からの避難者の相談窓口はそれぞれの役場(4町が臨時の役場機能をいわき市に置いている)となる。いわき市議としてそれぞれの役場に相談を持ち込むと、市と町という行政の壁があり、なかなか話が進まないこともあるという。けれど、「困っている人の力になりたい!」、その一点で、いわきに住む人々の相談を受け、対応し続けている。

情報発信することで、情報収集もできる

部活動で朝が早い長男(中2)を送り出したあとの時間を使い、ランニングをするのが柴野議員の息抜き。残念ながら今年は大雪で中止となったが、「いわきサンシャインマラソン」にも出場するほど。厳しい選挙戦を勝ち抜くための体力には自信がある。初当選から1年半。新人議員として、まだまだ毎日が手探りで、全力疾走だ。 選挙は、その時々の風が吹く。だからこそ、「もっと発信力をつけよう」と、議員力のアップを決意した。日々の街頭演説にも力が入る。ネットでの発信力も大事ではあるが、高齢の支持者には、紙面が有効。第2号を発行した「しばのみか通信」も、今後は、季節ごとの発行を目標に増やしていく予定だ。

▲FBより転載 しばのみか通信作成中

発信力アップのために始めたフェイスブックでは、他県の人とつながり、いわき市を知ってもらうこともできた。議会質問で取り上げた内容を発信すると、専門的なコメントをつけてくれることもあった。公明党の他の地方議員の活躍を知る中で、日々の議員活動の参考にもなった。情報発信のために始めたフェイスブックが、思いもかけず情報収集のツールになったという発見も。PC操作はそれほど得意ではないが、スマホを使って気軽に発信できるからこそ、楽しく続けることができている。

震災より3年が過ぎたが、復興はまだまだこれから。「必ず、震災前より輝くいわきをつくっていきます!」と語る柴野議員は、今日もいわきの街を駆け巡る。