奨学金制度の拡充

「希望」する学生すべてに「奨学生100万人時代」を実現


希望する学生すべてに支給できる新奨学金制度の創設を確認した自民・公明の幹事長会談(1999年2月18日 国会内)

1999年2月18日、自民・公明両党幹事長会談――。政策審議会長の坂口力は万感の思いを込めて「確認書」にサインし、幹事長の冬柴鉄三と固く手を握り合った。

「両親等の教育費負担を軽減するとともに、勉学に熱意のある本人の希望に応え、新しい奨学金制度を創設する」

この一文こそ、それまで一握りの英才を育てる「育英」に力点を置いていたわが国の奨学金を、学ぶことを「希望」する学生すべてに貸与する制度へと大転換させる歴史的なスタートだった。


奨学金事業の推移

確認書は、99年度予算案での有利子奨学金(きぼう21プラン)について「勉学意欲のある者を広く対象とする」として成績要件を事実上撤廃。親の所得制限も緩和し、貸与月額を3万、5万、8万、10万円の中から選択可能とした。貸与人員は10万人から25万人へ2.5倍に拡大。さらに、保護者の失業や病気などで家計が急変した場合に利用できる無利子の「緊急採用奨学金」の創設を明記した。

その前年夏の参院選を公明の代表として戦った浜四津敏子は、日々寄せられる「長引く不況で進学を断念せざるを得ない」「子ども2人が大学に進んだが、仕送りで家計は火の車」といった支持者の悲鳴が脳裏から離れなかった。浜四津は誓った。「断じて勝利しなければ」

公明は、この参院選で過去最高の比例区775万票を獲得。自民が過半数割れしている参院で、キャスチングボート(政策の決定権)を握った。

「今こそチャンスだ。775万票に込められた支持者の思いに断じて応えよう」。公明は、既に98年3月に発表していた党の政策提言「新教育奨学金の創設」の実現へと力強く踏み出した。そして、あの99年度予算案をめぐる自民党との交渉へと駒を進めていった。

新奨学金創設の反響は大きかった。

「閉ざされていた心の片隅に、春の日が差し込んできたような温かさを感じました」(東京都・渡辺由紀子さん)。「真剣に生きる庶民の味方の公明党を、これほど身近に感じたことはありません」(京都市・矢野弘さん)……。党本部には連日、喜びの便りやファクシミリが続々と届いた。

99年10月、公明党は連立政権に参画。奨学金拡充は一段と加速した。

2003年度には入学金用の奨学金(30万円、有利子)を創設。04年度には法科大学院生や海外留学希望者向けの奨学金も新設した。そして05年度には、ついに公明党の念願だった「奨学生100万人時代」が実現。さらに06年度は無利子46万人、有利子63万人の計109万人へと急増した。

「奨学金の充実は『格差社会』を乗り切る大きな手だてになる」――。この決意を胸に、公明党のさらなる闘いが続く。

文中敬称略、肩書は当時
2006年12月22日付 公明新聞