携帯番号ポータビリティー

業界動かした1000万人署名
「日本はなぜ、できない」に応える


署名運動を展開する党長崎県本部青年局のメンバー(2003年8月17日 佐世保市)

「民間のすることですから、いちいち政府が介入するのは……」

2003年3月、党青年局長を務める遠山清彦の参院議員会館事務所。総務省の担当官は、携帯番号ポータビリティー制度に関する見解を遠山に聞かれ、こう冷ややかに答えた。この時の行政の“常識”を覆す大きな力となったのが、公明党青年局が後に総力を挙げて取り組んだ「1000万人署名運動」だった。


携帯番号ポータビリティー制度のスタートをアピールする遠山青年局長ら(2006年10月24日 東京・千代田区)

きっかけは、一人の青年からの遠山事務所への電話だった。

「海外では携帯会社を変えても番号が変わらないのに、何で日本は変わってしまうんですか? おかしいですよ」。02年12月のことだった。

遠山は党青年局メンバーと早速、調査を開始。すでに英国、オランダ、イタリア、ドイツなど欧州連合(EU)各国や、香港、シンガポールなどアジア地域でも導入されていた。しかも、同制度が市場競争の活発化を促し、サービス向上や技術開発を加速させていることも分かった。

03年7月18日、参院議員会館での党青年局の会議の場でも、携帯各社幹部は共同データベース構築などに1600億円程度の費用がかかることなどを理由に、導入に否定的な発言を繰り返した。「できればいいが、まず無理ですね」「費用は頭割りで利用者に転嫁することになりますよ」

だが、遠山らは、ひるまなかった。「それならば、青年の声を結集しようじゃないか」

数日後、青年局は全国で署名運動を開始した。賛同の声は日増しに高まっていった。「みんながこの制度を望んでいるんだ!」。メンバーは自信を深めた。

同年9月1日。遠山らは、それまでに寄せられた846万人の署名簿を小泉純一郎首相と総務相あてに提出。総務省の態度が一変したのは、このころからだった。最終的に署名は、2カ月間で1012万人を超えた。

青年局に“追い風”も吹いた。同年11月に米国が同制度を導入。政府や携帯電話会社の予想を上回る好評だった。そして04年4月、総務省の研究会が「導入することが適当」との報告書を発表。ついに流れは決した。

06年10月24日、番号ポータビリティー制度がスタート。11月末現在の総利用件数は約68万件に達した。制度導入をにらみ、各社の競争も激化。通信のつながりやすさを競う基地局の整備や、採算面から及び腰だった「料金繰り越し」などのサービスも次々と始まった。

公明党の番号ポータビリティー実現は、青年の熱意と行動が、ともすれば生活者の立場を忘れがちな行政や企業の意識を一変させる力を持っていることを如実に証明した。

公明党は今後も「生活者の視点」に立つ行政、業界への転換を全力で主導していく。

文中敬称略、肩書は当時
2006年12月29日付 公明新聞