さい帯血移植

保険適用後 実施数は4850件に
“目の前の一人”に尽くす姿勢が私の命を救った


ベッドの上の矢部さんに、管を通してさい帯血が移植される=2005年11月

「命を守る公明党」を象徴する実績の一つ、さい帯血移植。その実施数は段階的に伸び、多くの命が救われている――。

都内に住む矢部義雄さん(仮名)も、その一人。2005年初夏、職場での健康診断の結果が届いた。この年も「異常なし」のつもりだった。だが、白血球や赤血球、血小板といった血液関係の数値が極端に低い。保健師の勧めで精密検査を受けた。骨髄検査による激痛にも耐えた。

8月15日、医師から骨髄異形成症候群(MDS)と告げられた。初めて聞く病名だったが、医師の説明から、放置すれば白血病に進行することが分かった。骨髄移植をしなければ助からないことも。動揺する妻。死を意識した瞬間だった。

「やり残したことがたくさんある。娘にも父親らしいことをしてやりたい。このままでは死ねない!」

矢部さんは骨髄移植のドナー(提供者)をバンクに求めた。多い人は100人単位で見つかるドナーだが、矢部さんの場合は、たった4人。「移植までたどり着けるかどうか……」、医師も悲観的な答えに終始。そんな時、頭をよぎったのが、さい帯血移植だった。


さい帯血署名を行う浜四津代表代行ら(1997年8月1日 東京JR新宿駅前)

さい帯血とは、へその緒と胎盤に含まれている血液のことで、血液をつくる造血幹細胞が成人よりも豊富に含まれている。白血病や再生不良性貧血など、血液疾患に対し、これを移植することで、治療に効果があるとされる。

1990年代後半から公明党は、この治療法の保険適用と、公的バンクの設立を求めるボランティア団体の運動を支援。全国で署名運動を展開し、賛同の声は200万人を超えた。

97年10月に、浜四津敏子代表代行が国会で初めて取り上げて以降、党を挙げた粘り強い取り組みの結果、移植の保険適用(98年4月)や公的バンクの設立(99年8月)などが、次々と実現した。

日本さい帯血バンクネットワークの調べによると、保険適用からの移植実施数は4850件(08年9月末現在)に上っている。

その後、さい帯血移植に実績のある病院に転院した矢部さん。11月24日、宮城県に住む男児のさい帯血を移植された。この治療法は骨髄移植に比べ、拒絶反応が少ないのが特徴の一つだが、矢部さんの場合は違った。連日39度を超える高熱、全身の皮膚もボロボロはがれた。

こうした闘病生活を経て、2006年3月15日、矢部さんは退院。その後も肺炎などで入退院を繰り返したものの、08年4月、晴れて職場復帰を果たした。
「あの時、浜四津さんがボランティア団体の訴えに耳を傾けていなければ、私は生きていなかった」と語る矢部さん。「“目の前の一人”のために全力を尽くす公明党の姿勢が、私を救ってくれたのです」とも。

移植から間もなく3年。5年間、再発しなければ「完治」とされる。その日をめざし矢部さんは力強く語る。

「“勝利宣言”の日まで、闘いは続きます!」

文中敬称略、肩書は当時
2008年10月11日付 公明新聞