児童手当の拡充
庶民の「願い」を政治に
守り育てた子育て支援策の柱
1999年10月、公明党は政権合意書に署名し、連立政権に参画。児童手当は政権与党の子育て支援策の柱となった
「乳幼児を抱える家庭は、おむつやミルク代など節約不可能な経費がかかります。今回の合意は1歳児のいるわが家にとっても、うれしい施策。政府が子どもの健全な成長の重要性を認識した表れとして評価します」
東京都荒川区の渡香絵さんは本紙投稿欄(2006年12月25日付)にこんな声を寄せてくれた。
公明党の強い主張で、児童手当の0~2歳児の第1、2子の支給額を月額1万円に倍増する「乳幼児加算」が07年度から実施されることを知って喜び、ペンを執った。
今、「児童手当と言えば公明党」との認識が広く定着した、その淵源は40年前にさかのぼる。
1967(昭和42)年12月の千葉県市川市議会定例会。「子どもたちの健全な育成のため、早急に実施すべきだ!」。公明党議員の凜たる声が響き渡った。公明党が、自治体独自の制度として児童手当導入の口火を切った瞬間だった。同じ頃、新潟県三条市でも市議会公明党の主張が市当局を動かしつつあった。
翌年4月、国に先駆けて両市は、第4子以降に月額1000円を支給する児童手当をいち早くスタートさせた。
「私は刃物の研磨の仕事をしていますが、何しろ子どもが多いので出費が驚くほどかかります。前々から子どもたちに勉強机をせがまれ、買ってやることができませんでしたので、5カ月分の児童手当でさっそく購入しました。本当に助かりました」(三条市の相田太郎さん)。「公明党は国の制度の実施を主張していますが、ぜひとも実現してほしい。これは全母親の念願だと思います」(市川市の酒井隆子さん)=ともに公明グラフ68年11月号から。
党本部には連日、こうした喜びの声、庶民の願いが殺到した。
これを機に児童手当の実現を求める公明党の取り組みは全国に波及。国会では68年、公明党が他党に先駆けて児童手当法案を提出。ついに72年1月、国の制度としての児童手当が実現した。
その後も政府は何度となく児童手当の縮小、廃止を画策した。だが、その度、公明党は児童手当の存続と拡充を訴え、制度を守り育ててきた。
99年、一大転機が訪れた。2月18日、公明党幹事長の冬柴鉄三は自民幹事長との会談で「欧州の制度を参考に新児童手当制度を検討する」ことを自民に約束させた。そして同年10月、公明党は連立政権に参画。政権合意書とともに交わされた政治・政策課題合意書に、政権与党の子育て支援策の柱として「児童手当の拡充」が明記された。
公明党の政権参画から7年。児童手当の支給対象は5.4倍の1310万人にも広がった。
文中敬称略、肩書は当時
2007年1月12日付 公明新聞