出産育児一時金の増額

若い夫婦に安心と喜びを
一貫して「実態」踏まえ引き上げ

衆院代表質問で出産育児一時金の増額などを迫る神崎代表(2005年1月25日)

2006年2月、初めて命を宿した喜びの中、兵庫県篠山市に住む大木聡美さんは本紙で「出産育児一時金」増額のニュースを知った。

「出産一時金、10月から35万円になるねん。5万円のアップや!」

“朗報”を早速、会社の後輩にも伝えた。偶然だが、ともに出産予定日は10月7日で同じ病院。「5万円の違い、大きいよね。おむつ代やミルク代とか、いろいろかかるし……」「赤ちゃん、お願いだから10月になってから生まれてきてね」。2人は、おなかの子に語り掛けながら微笑み合った。

出産育児一時金の拡充の経過 分娩費について、1961年~92年まで、本人は標準報酬月額の半額で、最低保障額が1961年6,000円、1969年20,000円、1973年60,000円、1976年100,000円、1981年150,000円、1985年200,000円、1992年240,000円と変遷。配偶者は1961年3,000円、1969年10,000円、1973年60,000円、1976年100,000円、1981年150,000円、1985年200,000円、1992年240,000円と変遷。育児手当金は本人・配偶者とも1961年~92年まで2,000円。1994年に分娩費と育児手当金を統合し「出産育児一時金」を創設し、本人・配偶者とも定額300,000円となる。2002年、対象者を本人または配偶者から、全被扶養者に拡大。2006年に350,000円に増額。

この1年前――。公明党は05年初頭から代表の神崎武法、代表代行の浜四津敏子らを先頭に「出産育児一時金の増額」をめざし、全力の国会論戦を展開していた。

分娩・入院費の平均は36万円、定期検診・諸費用を含め50万円(こども未来財団03年調査)。この大きな出費が出産を手放しで喜べないほど若い夫婦の家計を直撃していた。このため、神崎は「子育て関係予算の抜本的な拡充が不可欠」(05年1月25日=衆院代表質問)と出産育児一時金の増額を力説。浜四津も「平均の出産費用は約50万円。負担の実態に即した引き上げを」(4月25日=参院厚労委)と、政府に迫った。

同年4月、党内に少子社会総合対策本部を立ち上げた。本部長の坂口力らが「子育てを社会全体で支援し、子育ての安心を実現するチャイルドファースト(子ども優先)社会をめざす」と議論を展開。出産育児一時金については党のマニフェスト(政策綱領)に、実態に即した「30万円から50万円への増額」を明記した。

“郵政解散”に伴う9月の衆院選で公明党は、児童手当拡充など少子化対策で実績を積み重ねてきた政策実現力を訴え抜き、過去最高の比例区898万票を獲得。少子化対策への期待の大きさを肌身で実感した神崎、浜四津は、直後の特別国会で代表質問に立ち、重ねて「出産育児一時金の拡充を」と実現を迫った。

与党の実務者協議の場では、党社会保障制度調査会長代理の福島豊らが奮闘。ついに11月25日の与党社会保障政策会議で自民党と合意に至り、12年ぶりの出産育児一時金引き上げが固まった。

公明党は、これまでも実態に即した支給額へと毎回、増額を勝ち取ってきた。94年に分娩費24万円と育児手当金2000円を統合する形で新たに30万円の出産育児一時金を創設したのも、細川政権で与党入りした公明党の成果だ。その後も、出産に伴う費用を無利子で貸し付ける「出産費貸付制度」の創設(01年)、出産育児一時金の支給対象者を全被扶養者にまで拡大(02年)など、着々と制度を育ててきた。

公明党のめざす出産育児一時金は、あくまでも出産費用に即した支給。まだ闘いは終わらない。

文中敬称略、肩書は当時
2006年12月22日付 公明新聞