てい談 ふるさと創生へキックオフ
公明新聞:2018年3月18日(日)付
「みなさーん!」と、軽妙な語り掛けで人気を集め、通信販売業界のトップを走り続けた髙田明氏。昨春、サッカーJリーグチーム「V・ファーレン長崎」の代表取締役社長に就任するや、低迷していたチームは快進撃を始め、「奇跡」のJ1昇格を果たしました。チーム躍進の舞台裏や広報戦略、そして地方創生への思いなどを公明党の北側一雄副代表(衆院議員)、高瀬弘美参院議員と語り合いました。熱いトークのキックオフです。
サッカーで子どもに夢与える(髙田)
郷土愛あふれる実行力に感銘(北側)
高瀬 2月下旬にJリーグが開幕し、3月10日には強豪・浦和レッズと対戦しましたね。手応えはどうですか。
髙田 浦和をホームに迎え、結果は1対1の引き分けでした。長崎県諫早市のスタジアムに5000人以上の相手サポーターが訪れ、約1万6000人が観戦しました。J1のステージはやりがいがありますね。
昨季の昇格は「奇跡」と言われていますが、私は本来の力が引き出された結果だと思っています。持ち味の走力を生かし、今後も十分に戦える感触を得ています。
北側 私の地元は大阪府堺市です。現在、関西地域の大学チームでつくる関西学生サッカー連盟の会長を務めています。そこで、どのようにチームをサポートし、強さを引き出したのか、興味深いです。
髙田 私が社長になった時、チームには3億円以上の累積赤字があり、選手やスタッフが給料をもらえるかどうか心配するような状態でした。その中で、私が何をやったかといえば、答えは何もやっていないんです。
全員 (笑い)
髙田 あえて一つ挙げれば、選手や監督には経営面など余計なことを考えさせず、本業である試合と練習に専念してもらったことです。不思議なことに、昇格が見えてきた昨年8月以降の成績は13戦負けなしでした。やはり、心の持ち方のわずかな変化で、勝敗が決します。
チームは長崎県民、特に子どもに夢を与えられる存在です。絶対につぶせないと、これまでの経験を生かして経営再建に全力を尽くしました。
北側 「ジャパネットたかた」は長崎県佐世保市に本社がありますね。企業規模が拡大しても足場を変えず、故郷で事業を成功させていて、郷土愛を強く感じます。
髙田 ありがとうございます。Jリーグには、チームが地域に根差すことを目標とする「ホームタウン構想」があります。私たちは、長崎市と諫早市を中心に全県をホームタウンとして登録しています。
北側 高校サッカーをはじめ、長崎はサッカー人気が高い印象を持っています。
髙田 しかし、県内には離島も多く、県民の一体感を生み出す難しさを痛感しています。そこで、例えば私が構想しているのは、県内21市町にチームの下部組織を拡充することです。定期的に子どもたちが家族らと練習や観戦でスタジアムに集まることで、県全体が動き出し、地方創生に結び付けたいと考えています。
高瀬 チームに期待される役割は大きいですね。長崎は軍艦島をはじめとする世界遺産や温泉など魅力的な観光資源が豊富です。チームの活躍で来県者が増えれば、さらに盛り上がるでしょうね。
被爆地から平和の大切さ訴え続ける
北側 J1昇格が決定した昨年11月の試合終了後、スタジアムのグラウンドに立った髙田社長がサポーターに向けてあいさつを述べました。その中で「平和」に対する熱い思いを語られたことに、とても感動しました。
髙田 Jリーグは今年25周年を迎えたとはいえ、欧州などのチームに比べ、競技のレベルは、まだまだ及ばないかもしれません。しかし、被爆地である長崎、そして広島にあるチームには、世界中のどのチームよりも平和の大切さを発信できる使命があると確信しています。
北側 ユニホームには平和の象徴であるハトとオリーブが描かれていますね。
髙田 そうです。チーム名の「V」もオランダ語で平和を意味する「VREDE」などからきています。
北側 今年からは、ユニホームの背中にユニセフ(国連児童基金)の文字を入れていますね。
髙田 はい。企業から広告収入を得る通常のスポンサーとは異なり、私たちチームがユニセフに今後3年間で約1億円を寄付します。子どもたちの教育やスポーツ環境の充実に役立ててもらおうと、試みました。
高瀬 福岡出身の私は、長崎へ行くことが多いですが、行く先々で「長崎を最後の被爆地にするんだ」という決意を耳にします。
髙田 今年1月、チーム関係者約70人で長崎原爆資料館を訪問し、平和講習を受けました。初めて見学した選手もいました。平和への思いを強くしてくれる機会になればと願っています。
“伝えたつもり”が一番怖い(髙田)
「公明らしさ」を磨き、発信(高瀬)
高瀬 私は、ジャパネットたかたの愛用者です。テレビを見ていて、つい注文してしまいます(笑い)。
社長はよく「『伝える』と『伝わる』は違う」と言われています。広報や宣伝において、どんなことを大事にしていますか。
公明党は現場の声から政策を練り上げる「公明らしさ」に磨きをかけ、それを多くの人に知ってもらうため、発信力の強化に党を挙げて取り組んでいます。
髙田 今だから言えますが、かつて商品が売れなかった時は、“伝えたつもり”になっていました。
私がスタジオで語る時、テレビ画面の向こうで誰が見てくれるかは分かりません。だから、子どもやお年寄りにも伝わるように、難しい言葉を使わず、とにかく易しく、分かりやすく表現するように心掛けました。
政治の世界もやはり、国民目線で分かりやすく伝えることが大事ではないでしょうか。一番怖いのは、“伝えたつもり”ですから。
北側 私たちも党の実績や難解な政策を訴える時は苦労します。失礼ですが、今日の社長はいつもの甲高い声ではないですね(笑い)。あの声は意識しているんですか。
髙田 これまで1000回は聞かれましたが、実は全く意識していないんです。思いを込めて伝えようとすると、自然と声が高くなっていました。ぼそぼそと話しても絶対に伝わりません。
そして、一番大事なのは「間」です。相手が自分の言葉を受け止めるための間を取らないと、自分の言い分だけを押し付けることになってしまいます。過去の放送を検証すると、コンマ数秒の間の取り方の違いで、売り上げに大きな差が出ていました。
高瀬 重要な視点ですね。大変に勉強になります。今、多くの中小企業は後継者不足に悩んでいます。社長はどのようにバトンタッチされたのですか。
髙田 私は3年前、ジャパネットたかたの社長を退き、息子に一切を託しました。やはり、事業承継には覚悟が必要です。
私が大事にしているのは、松尾芭蕉が説く「不易流行」です。いつまでも変化しない本質的なもの(不易)を忘れず、新しく変化するもの(流行)を取り入れるということです。特に、「不易」については息子と共有していたので、不安はありませんでした。
北側 公明党にも「大衆とともに」という揺るがぬ立党の原点があります。社長にとって変えてはいけないものとは何ですか。
髙田 利益も重要ですが、どれだけ人に喜んでもらい、社会に貢献できるかです。ビジネスやサッカー、そして政治も同じだと思います。
北側 全く同感です。これからのV・ファーレン長崎、そして髙田社長の活躍に期待しています。ありがとうございました。
たかた・あきら
1948年、長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒。機械メーカーに就職し海外駐在を経験。74年に父の経営するカメラ店に入り、86年に「たかた(現・ジャパネットたかた)」として独立。2015年、同社の代表取締役を退任。17年4月、V・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任。公明新聞のお申し込み
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