三好長慶の「飯盛城」発掘進む

公明新聞:2017年4月28日(金)付

飯盛城の石垣について説明を聞く内海府議ら飯盛城の石垣について説明を聞く内海府議(奥左から3人目)ら

信長に先駆け“天下の中心地”を支配
国の史跡指定めざす
大阪・大東、四條畷市

1500年代、大阪府大東市と四條畷市にまたがる飯盛山(標高314メートル)の山頂一帯にあったとされる山城「飯盛城」。同城が近年、戦国時代最初に天下の中心地を支配し再評価されている三好長慶の居城として注目を集めており、大東、四條畷の両市は、2021年度中の国史跡指定をめざし、16年度から山頂付近の発掘調査・研究活動を進めている。このほど行われた両市主催の現地見学会には、国史跡指定を推進する公明党の内海久子府議のほか、大東市議会公明党(大谷真司幹事長)、四條畷市議会公明党(瓜生照代幹事長)の議員団が参加した。

公明府議と市議が連携 保存・活用で街おこしも

飯盛山の山頂付近には、日本城郭史において、本格的な石垣が造られる時代の先駆けとなる初期段階の石垣が点在。千畳敷と呼ばれる広大な居住スペースとなっていた場所には建物の礎石が残っている。公明議員団は、調査に当たっている職員の説明を聞きながら、まだ発見されていない遺構部分などをめぐり意見交換した。

歴史資料によれば、1560年、三好長慶は織田信長よりも早く、四国を含む近畿一円を支配したとされる。支配期間は約4年と短かったものの、イエズス会の司祭が飯盛城に上って長慶に布教の許可をもらったことも記録されている。居城の存在は早くから知られていたが、本格的な発掘調査や石垣調査は今回が初めて。最近では文化庁の職員も視察に訪れ、「国の史跡に指定されるのは間違いないのではないか」と語ったという。

内海府議は、14年10月の一般質問で、飯盛山城跡の歴史的価値や街おこしとの連動について述べた上で、「中世の山城として府内有数の大きさを誇り、戦国時代の歴史像を解明するためにかけがえのない歴史遺産として保護する必要があり、国の史跡に値する貴重な資産だ」と強調。国への働き掛け、府側の積極的なサポートを求め、前向きな答弁を引き出していた。その後も、大東、四條畷両市議会公明党と連携しながら、16年3月の教育常任委員会、同10月の一般質問でも重ねて訴えてきた。

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