福島故郷再生、道遠くとも…

公明新聞:2017年3月11日(土)付

「どれだけ戻ってくれるか……」。サケの稚魚を見つめる松本組合長と、鈴木謙太郎・鮭ふ化場長=2月24日 福島・楢葉町「どれだけ戻ってくれるか……」。サケの稚魚を見つめる松本組合長(右)と、鈴木謙太郎・鮭ふ化場長=2月24日 福島・楢葉町

帰町開始から1年半の楢葉町
戻ってきた住民は“1割”
生活環境整備し帰還を促す

避難指示区域8人に1人―。これまで東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除された、福島県の5市町村に帰ってきた住民の割合だ。今月31日と4月1日には新たに4町村の避難解除が控える【地図参照】。しかし、帰還の動きは依然として鈍い。その理由は一体何なのか。避難解除から1年半が経過した楢葉町で故郷の再生に挑む人々の姿を追いながら、実態を探った。(東日本大震災取材班 森岡陽介、坊野正樹、所正夫 写真=千葉正人)

「どれだけ戻ってくれるかが勝負だな」。放流を控えたサケの稚魚を見つめる、木戸川漁業協同組合の松本秀夫組合長(69)の言葉に力がこもった。それは、震災で故郷を離れて暮らす人々に思いをはせているようだった。

本州有数のサケ漁獲地だった楢葉町。震災前、漁協は毎年7万匹を捕獲し卵を採取、1200万匹の稚魚を育てて放流するサイクルを続けてきた。それが今では、捕獲数が1割に減少している。

原発事故で被災した12市町村の商工業再開を支援する「官民合同チーム」のサポートもあり、津波で破壊された、ふ化放流施設の6割は復旧した。しかし、漁獲高を震災前並みに戻すには10年かかると松本組合長はみる。「サケはいっぺんに帰って来ない。時を重ねないと駄目だ」

それは人間も同じかもしれない。2015年9月に避難指示が解除された楢葉町だが、解除時の人口7363人のうち、帰町者は818人と約1割にとどまる(3月現在)。なお、帰町者とは、週4日以上、町に滞在する人を指し、平日は楢葉町に住みながらも、休日は避難者が多く暮らす、いわき市で過ごす人が少なくない。

建築会社を営む関根一衛さん(65)もその一人。理由の一つは“復興渋滞”だ。「楢葉町から仕事の多い、いわき市まで車で30分で行けたけど、今は作業用車両で混み合い1時間半はかかる」

ただ、渋滞を除けば、震災前と比べてそれほど生活は不便になっていないという。では、何が帰還を阻むのか―。関根さんが困ったように答えた。「避難先は楢葉に比べて便利だし、新しい人間関係もできた。なかなか難しいね……」

20年後も町はあるのか

町が今年1月に実施したアンケートによると、25.2%の住民は「町に戻らない」と回答している。11年8月に行った同様の調査では5%だったことを考えると、町の将来は楽観視できない。

建設が進む「笑みふるタウン」=2月24日 福島・楢葉町16年7月に町内で歯科医院を再開した蒲生正若さん(56)は、20年後も町が存続しているのか不安を感じている。「町では50代でも“若者”。求人はあっても働き手はいない。人材不足は深刻だ」とこぼす。

町も静観しているわけではない。4月から町内で再開される学校に通う子どもがいる世帯には、給食や学用品の費用を補てんし、必要があればバスや公用車での送り迎えも行う。それでも、通学を希望しているのは震災前の15%に満たない(16年12月現在)。

来年春には、災害公営住宅やスーパーマーケット、診療所など、さまざまな生活機能を集約した「笑みふるタウン」がオープンする。「現状は確かに厳しいが、いつでも帰って来られる環境を整備したい」と話す町の担当者。その言葉は、決意にも、祈りにも聞こえた。震災6年は、険しい復興への道のりの通過点にすぎない。

今春、4町村が避難解除
国家プロジェクトで生業再建

東電福島第1原発事故に伴う避難指示が、今月31日に浪江町、川俣町、飯舘村で、4月1日に富岡町で、それぞれ解除される(帰還困難区域除く)。対象者は約3万2000人に上り、大きな節目を迎える。

ただ、既に解除された区域でも、実際に戻った住民の割合は13%にとどまる。その一因に、働く場所がないとの実情がある。廃業や拠点の移転を余儀なくされた事業者もいる厳しい現状にあって、生業の再生こそが地域の活力を取り戻す“希望”となろう。

政府は、浜通り地方の産業と雇用の回復、創出をてこ入れするため、ロボット開発などの先端産業を集積する「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」を推進する。今国会で成立をめざす福島復興再生特別措置法改正案は、同構想を法定化するものだ。

今後、国家プロジェクトとして位置付け、関係機関との連携を一層強化し、構想の早期具体化を進める。地元企業の参画を促進し、その効果が地域経済に波及するよう、政府には現場のニーズに応じた施策が求められている。

政府はこれまでも、県内事業者の事業再開に向けた支援を進めてきた。福島相双復興官民合同チームが、事業者の意見や要望などを聴取する個別の訪問活動は、延べ5500回超。再開した事業者は49%に上る。営農再開支援も、約750回の打ち合わせを行い、延べ1万2000人を超える農業関係者が参加。直接に経営・技術指導を行った回数は、延べ2500回に迫るなど、農商工業者の再建に大きく貢献している。

一方、放射線量が高い帰還困難区域について、政府は17年度から、除染やインフラ整備を集中的に進め、人が住めるようにする「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)を設ける。22年をめどに同拠点での避難指示を解除する方針だ。国の取り組みが急がれる。

公明3副大臣が結束
復興加速へ省庁横断

避難者が故郷への帰還をためらう大きな理由は、医療・介護の環境整備の遅れだ。原発周辺の市町村では、長期避難が続き、医療・介護の体制が崩壊。施設の再開や人手不足への対応が急務になっている。

福島・飯舘村の医療施設で課題を聞く古屋(左端)、高木(右隣)、長沢(右から2人目)の各副大臣=2月3日そこで生かされたのが、公明党のネットワークだ。福島の復興を担う高木陽介経済産業副大臣、長沢広明復興副大臣が旗振り役となり、古屋範子厚生労働副大臣と協力。省庁の枠組みを越えて被災地へ共に足を運び、“現場第一”で対策を前へ前へと進めている。

事実、医療・介護の人材を集めるため、首都圏の看護師・介護士らを対象にしたバスツアーを実施、国の予算確保の流れもできた。

省庁横断の取り組みは、農業や教育の分野でも。高木、長沢の両副大臣は、矢倉克夫農林水産、樋口尚也文部科学の両大臣政務官ともタッグを組み、帰還環境の整備に全力を挙げている。

住民の「迷い」と「不安」を安心に
高木陽介経産副大臣に聞く

東京電力福島第1原発事故から6年。困難が伴う廃炉作業の進ちょくなどについて、高木陽介経済産業副大臣(原子力災害現地対策本部長=公明党)に聞いた。

―避難指示を解除した地域の帰還がなかなか進まない。

高木経産副大臣 事故から6年がたち、それぞれの避難先で生活基盤が、でき始めている。今月31日と4月1日には、4町村の避難指示を解除するが、ようやく復興のスタートに立つということで申し訳ない気持ちでいっぱいだ。帰還するか否かは個々の判断だが、迷いや不安を払しょくし、住民に安心して帰還の道を選んでもらえる環境づくりを急ぎたい。

―廃炉・汚染水対策の進ちょくは。

高木 廃炉は安全かつ着実な作業が大前提であり、慎重を期して進めている。最難関の燃料デブリ(溶け落ちた核燃料)の取り出しに向け、1、2月に第1原発2号機の格納容器内にカメラや調査ロボットを投入した。内部の堆積物を確認し、放射線量や温度を実測するなど重要な情報を得た。今後、1、3号機でも調査し、今夏ごろをめどにデブリの取り出し方針を決定する。

汚染水対策では、地下水の流入を防ぐ凍土遮水壁が海側で既に凍結を完了し、山側も約97%が凍結した。こうした進ちょく状況を正確に広報し、漁業者の信頼回復と国民の安心感につなげたい。

―復興加速へ決意を。

高木 復興が緒に就いたばかりの福島は、これからが正念場だ。法律や制度上、難しい課題であっても、どうやって突破するかという発想で取り組む。実施した政策が住民の生活にどう反映され、喜んでもらえたかに目配りしながら、徹して寄り添い復興を加速していく。

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