中道政治とは何か(上)

公明新聞:2016年10月3日(月)付

中道は独自の価値観
国民の常識に適った政治の決定を行う
党特別顧問 市川雄一

公明党の市川雄一特別顧問(党元書記長)から、「中道政治とは何か」の論文が寄せられました。上下2回に分けて紹介します(見出しは編集部)。

公明党は結党(1964年)以来、中道政治を掲げてきた。中道とは何か。生命、生活、生存を最大に尊重する人間主義、これが中道の理念であり、この理念に基づく政治の実践こそ中道政治である。

実践の規範としては、中道政治とは、政治の現場において、世論が二分するような重要な案件で与野党が対立した時、そのどちらの側にも偏らず、この二者の立場や対立にとらわれることなく、理の通った議論を通じて、国民の常識に適った結論(正解)をさがし、創り出すことを基本とする考え方である。あえて、つづめて言えば、中道政治とは、「国民の常識に適った政治の決定」を行うことを基本とする考え方であると言っても良い。もちろん、その結論(政治の決定)は政治の結果責任に十分に耐え得るものでなければなるまい。

中道とは、左右を足して2で割ったものではない。折半でも、折中でも、中間でも、真ん中でもない。バランスは政治判断において大事だが、バランスがそのままイコール中道を意味するものではない。中道とは、「それ自体の独立した価値」(佐瀬昌盛氏・「読売」2014年11月7日付)を持つ理念であり、実践の規範となるものである。

政治路線としては、左右の極端に走らず、急進的ではなく漸進的で、穏当な路線である。具体的には、日本の政治の座標軸である事をめざし、①政治の左右への揺れや偏ぱを防ぎ、政治の安定に寄与する②賛成と反対だけの不毛な対決を避け、国民的な合意形成に貢献する③新しい課題に対しては、創造的な解決策を提案する、この三つを基本としている。

割れる世論の合意形成に尽力し、政治の安定を実現することは極めて重要である。政治の安定がなければ、法治国家において、いかなる法律も成立が困難で、時の政権は、統治能力が機能不全に陥るからである。

最近、識者が公明党の役割を語る時、中道としての国民的な合意形成への尽力やその結果としての政治の安定に貢献していることに注目した発言が多い。

五百旗頭眞氏(熊本県立大理事長)は「安倍内閣は近年珍しく安定した政権運営を続けている」と述べたあと、その一つの理由として「公明党がかつての中道野党的な役割を政権内で果たしている」(「読売」16年1月10日付)と語っている。この五百旗頭氏のいう「公明党がかつての中道野党的な役割」とは、もちろん中道の役割に与党野党の区別はないが、野党当時の公明党が、PKO(国連平和維持活動)協力法の制定において、世論が二分する厳しい政治環境の中で、国民的な合意形成に尽力し、政治の安定に寄与したことを指していると思われる。

一橋大学教授の中北浩爾氏は「これまでもPKO(国連平和維持活動)協力法の制定や『社会保障と税の一体改革』などで、公明党は各党の合意形成に尽力し、安全保障法制でも一定の役割を果たした」(「公明新聞」16年5月28日付)と指摘している。中北氏は公明党への期待として「一つは政党が対立する中で中道的なポジションを占め、国民の常識に基づいた、穏健で中長期的な合意をつくる求心的な役割。もう一つが、政党政治において社会とのパイプ役として機能することだ」とも語っている。

読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は「公明党が掲げる現実的な『中道』路線こそ日本の政党にとって大切なものではないか。事実、PKO(国連平和維持活動)、社会保障と税の一体改革、今回の安全保障法制の議論の時もそうだった」(同・14年11月6日付)と語っている。

国民的合意をつくり、「政治の安定」めざす

不毛な対決型政治を排し“国民本位・生活者中心”貫く

党の路線は“政党の生命”キャスチングボート行使の重責担う

中道の役割を、PKO協力法制定の経験を踏まえて、具体的に述べてみたいと思う。

1989年7月、当時、野党としての公明党が中道としての役割を果たせるかどうか、その有効性が政治の現場で、現実的にテストされる厳しい事態が起きた。しかし結果としては、同時に、公明党が掲げる中道の特色を具体的に示すチャンスでもあった。

それは、湾岸戦争が勃発する約1年前、89年7月に行われた参院選の結果である。リクルート事件などで自民党が大敗し、参院における単独過半数の議席を失い、期せずして公明党が参院におけるキャスチングボート(決定票)を握ったことである。

法律は衆参両院の可決によって成立する。政権与党の自民党が参院における単独過半数を失った以上、与野党対立下にあって、公明党が法律成立の可否を決める権限を握ったということである。野党であって与党的な重い責任を持つことになった。党としては、初めての経験である。

この年の参院選の直前に公明党国会議員の金銭スキャンダルが発覚し、党執行部が交代した。新執行部は、石田幸四郎委員長(衆院議員)、市川雄一書記長(同)の体制で、その後、国会対策委員長となった神崎武法氏(同)や、政策審議会長を務めた坂口力氏(同)らを軸とした体制でスタートした。しかし、この参院選では大敗し、新執行部は発足早々に出端をくじかれ、党再建という重い宿題も同時に背負うことになった。

もはや単なる野党ではない。党としての自立した独自の判断をたえず迫られることになるにちがいない。こう考えた党執行部は、党の路線転換の必要性を自覚し、早急に党大会を開き、路線転換を行うことを決定した。

当時の公明党は、いわゆる社公民路線だ。3党の共闘的な性格もあり、この路線にしばられていては、中道としての独自の判断をくだすことは難しい。独自の判断ができなければ、キャスチングボートを握った役割を十分に果たすことはできない。自民、社会、公明の3党のもとで独立した一極として独自の判断ができる路線が必要であった。

路線は政党の生命である。米ソ冷戦終結の兆しもあり、防衛、外交問題で社公間がギクシャクすることも予想されていた。

90年党大会で中道の理念と新路線を定める

党の路線の決定や転換は党大会での決定が必要である。そこで、90年4月の第28回党大会と同年11月の第29回党大会で十分な議論の上、社公民路線と決別し、中道の理念と路線を具体的に定義した新しい路線を決定した。今日までこの時に決めた路線の骨格が引き継がれている。

90年4月と同年11月の2回の党大会で新路線を決めたが、まるで公明党の路線転換を待っていたかのように、90年8月2日、イラクがクウェートに突然侵攻し、占領する湾岸戦争が勃発した。翌91年1月17日、国連決議に基づき、米軍主導の多国籍軍がイラクへの武力行使を開始した。この戦争は、「一国平和主義」のぬるま湯に浸っていた戦後の日本社会を揺るがす衝撃的な事態であった。

米軍の武力行使から2日後、91年1月19日、日本政府は米国からの要請による90億ドル(約1兆1700億円、1ドル=130円)支援を受け入れた。おそらく日本にとって重要な石油輸入ルートが遮断されたことが起因し、応分の協力を求められたのではないか。

この90億ドル支援の賛否をめぐり、与野党間はもちろん、世論も党内も意見が真っ二つに割れていた。社会党と共産党は即座に「戦費協力反対」と反応した。当然だが、公明党の賛否が注目の的となった。新路線と党再建の成否が問われた。マスコミからは「公明党、賛否両論で意見真っ二つ」とか「悩む公明党、悩まぬ社会党」と報道され、揶揄された。

このイラクのクウェート侵攻に対し、国連安保理は、クウェート侵攻の8月2日その日に、即時無条件全面撤退要求を決議(660号)し、11月29日には、イラクの撤退期限を91年1月15日とし、撤退しなければ加盟国に武力行使を容認するとの決議(678号)を行った。イラクに対する多国籍軍の武力行使は「国連決議(678号)に基づくもの」(デクエヤル国連事務総長)である。この「国連決議678号」は筋の良いものといわれ、決議遂行のためにとられる行動(武力行使を含む)に対して、「適切な支援を提供するようすべての国に要請する」としていた。

新路線の真価試された湾岸90億ドル支援問題

この90億ドル支援問題は、「戦費協力反対」といったレベルで単純に賛否を決められる性格の問題ではない。日本さえ平和なら関係ないとでもいうのか。侵攻されたクウェートの平和の回復は誰がやるのか。国連しかない。とすれば、国連の要請に協力する決定が妥当ではないのか。しかし、強い反対の世論を考えれば、無条件で賛成というわけにはいかない。どうしたら二分された世論を変えることができるのか。党としてはまさに世論と対話するような感じで考え抜いた。

党内は衆参両院議員全員(当時、衆院議員46名、参院議員20名、計66名)と頻繁に質疑応答の議論を何回も繰り返した。支持団体の首脳陣とも、活発に意見を交した。必要な情報を共有し、理の通った議論を通じて、判断の共有に至るしか道はないと思った。

どうすれば、国民(世論)が納得するのか。人的貢献として想定された「国連平和協力法案」は廃案となり、日本が出来る国連協力は、資金協力しかない。

党として、ここで考えついたのが、資金協力の性格を明白にすることだった。資金協力が「戦費協力」ではないことを立証するための条件が必要だ。それが、「90億ドル支援」は、武器・弾薬には使用しない、という条件である。さらに三つの条件を加えて四条件とし、党としては、この四つの条件をつけて賛成することを決定した。その四条件とは、(1)90億ドルの使途は武器・弾薬には充当しない(2)政府は全額増税で賄おうとしているが、政府自らの歳出削減の努力で、5000億円程度は増税を圧縮する(3)冷戦が終了し、ニューデタント(国際的緊張緩和)の中で1000億円の防衛費の削減を図る(4)平成3年(91年)度の予算書の書き換え修正を行う、である。

この党の方針に基づき、私は91年2月5日の衆院予算委員会で、海部俊樹首相に対し、この四条件を提起した。海部首相は、日本が行う90億ドル支援は、武器・弾薬には充当しないとの意志を間接的な表現で表明した。その後、政府与党との何回かの交渉を経て、政府与党がこの四条件を全部受け入れることになった。それを受けて、公明党は、政府の90億ドル支援への賛成を2月15日の衆参両院の全国会議員が参加する拡大中央執行委員会で決定した。

世論が劇的に変化、公明の判断を支持

外国メディア「政府動かし、政治決定で中心的役割」と

この1週間後の2月23日に、NHKが報道した世論調査では、「90億ドルの追加支援は賛成か反対か」に対し、賛成70%、反対28%で、他の世論調査も同様の結果だった。賛否が拮抗しているか、反対多数の世論が劇的に変化したのである。マスコミの調査による世論が、これほどまでに敏感で、変化するものであったのかと驚き、認識を改めさせられた。これが後日の重要な教訓になった。この当時としての国民の常識に適った結論(中道的な判断)であったのであろう。

四つの条件の中で、一番、懸念していたのは、日本が支援する90億ドルの資金を武器・弾薬には使わない、とする点であった。多国籍軍を主導するのは米軍である。その国の指導者の意志が重要だ。海部首相に予算委でこの条件を提起したのが2月5日であるが、その数日前、米国のアマコスト大使と会食の機会があった。その席で私は、公明党の方針を説明した上で、日本政府支援の90億ドルを米国として武器・弾薬に使わないと言明して欲しい、この点をぜひ、ブッシュ大統領のご理解をいただけるよう、大使のご尽力をお願いしたいと申し上げた。

もちろん、日本外務省による外交ルートでの働き掛けがあったと思うが、一旬日を経て実現したのには驚いた。2月4日にタトワイラー米国務省報道官が「日本からの資金協力は、直接戦闘のためには使用しない」(「朝日」91年2月5日付夕刊)と語った。2月6日にはブッシュ大統領が「日本には平和憲法がある。日本に軍事的貢献を期待するべきではない」(「朝日」同2月7日付夕刊)と声明したのである。米外交の決断の素早さを強く感じさせる一幕であった。

さらに、公明党の賛成で支援が決定したことに対し、海外各国から反響があった。英紙インデペンデントは「公明党はキャスチングボートを背景に、湾岸90億ドル追加支援で日本政府を動かし、政治を変えている」と伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズは「少数政党である公明党が、日本現代史上初めて、自民党以外の政党として、日本政治の決定について中心的役割を果たすことになった」と報じた。ドイツやスイスの新聞も公明党の活躍を伝えていた。

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