新春てい談 一人ひとりが輝く未来へ

公明新聞:2016年1月1日(金)付

2016年の躍進へ決意を込めて。山口代表と田口、鈴木の両氏=都内・北区2016年の躍進へ決意を込めて。(右から)山口代表と田口、鈴木の両氏=都内・北区

出席者

公明党代表 山口那津男
パラリンピアン 田口亜希さん
スポーツ庁長官 鈴木大地氏

「新春てい談」で公明党山口那津男代表が訪れたのは、トップアスリートが集う国立スポーツ科学センター。鈴木大地スポーツ庁長官、パラリンピック・射撃日本代表の田口亜希さんと壁を破る要諦などを熱く語り合いました。

鈴木 試練を乗り越えて金メダル

山口那津男代表 今年は南米初の夏季五輪・パラリンピック大会がリオデジャネイロ(ブラジル)で行われます。2020年東京大会に向けても大事な大会になりますね。

鈴木大地長官 スポーツ選手にとって、五輪・パラリンピックは一番の目標です。人生を懸けています。悔いのない戦いをしてほしいですね。

田口亜希さん 選手は4年間、この日をめざして頑張ってきました。パラリンピックも徐々に知名度が上がっています。リオ大会はテレビ報道も多くなると思います。まずはパラリンピック競技をテレビで観戦するなど身近に感じてもらい、東京大会の時には、ぜひ会場に足を運んでいただきたいですね。

山口 パラリンピックは1964年の東京大会で、初めて夏季五輪に続けて行われました。パラリンピックを2度、開催するのは東京が初めてです。

田口 その通りです。パラリンピックは前回の東京大会で「パラプレジア(対まひ者)」の「オリンピック」の愛称として日本人が名付けました。リオはもちろん、次の東京大会はパラリンピック会場を満杯にして、各国の選手を迎えたいと思います。

山口 まさに“おもてなし”の精神ですね。

鈴木 東京大会は、“日本ファン”を増やすチャンスです。海外選手や訪日客の受け入れ体制を全国で整え、大会後も日本にゆっくり滞在してもらえるようにしたい。例えば、選手と子どもの交流会などを開いてもよいかもしれません。

田口 射撃と出合い目標を持てた

山口 お二人とも“困難”という壁を乗り越えてきましたね。

鈴木 壁があると私はターンしたくなります(笑)。実は選手時代、決して順風満帆ではありませんでした。

田口 一番辛かった経験は?

鈴木 84年に出場したロサンゼルス五輪の2年後、原因不明の腰痛で、半年ほど寝たきり生活を送りました。引退が頭をよぎり、一時は自暴自棄に。スポーツ選手は“健康が代名詞”だと思っていましたから。

田口 皆、そう思ってます。

山口 どのように前向きな姿勢を取り戻したのですか。

鈴木 このままだと「人生が終わる」と危機感を感じ、生まれて初めて本をむさぼり読み、勉強しました。そこで出合ったのが、当時プロ野球投手だった村田兆治さんに関する本でした。

山口 マサカリ投法で有名な。

鈴木 肘を壊した村田さんの闘病記を奥さまが書いていて、「アスリートは皆、けがと戦うから、いかにうまく付き合うかが大事なんだ」と。目からうろこでした。献身的なコーチや医師の力もあり、復帰できました。

山口 苦難を乗り越えて、何か変化はありましたか。

鈴木 嫌だった練習が幸せに感じられるようになりました。今思うと必要な挫折でした。けがなしには、88年ソウル五輪での金メダルは考えられません。

山口 スポーツ、政治も全員参加で

山口 田口さんも、これからというときにお体をね。

田口 仕事を始めて4年目の時、突然歩けなくなりました。最初はリハビリを頑張れば大丈夫と、高をくくっていました。しかし3カ月後、「もう一生歩けない」との宣告。その日、初めて泣いて母に電話しました。

鈴木 辛かったでしょう。

田口 最初は起き上がることすらできない自分が悲しくて。友達に「病院に来ないで」などと、失礼なことも言いました。それでも、いろいろな話をしに来てくれました。「寝てても一日は過ぎる、何かしないと!」と気持ちを切り替え、下に落ちた物を取るところから始めました。

山口 一つ一つステップを踏む中で、射撃との出合いが?

田口 職場復帰してから、誘われたのをきっかけに始めました。初めてのビームライフル(光線銃)の大会で優勝。コーチの勧めで実弾に移行しました。長官と違い運動が得意ではなかったので、選考会の意味も分からなくて(笑)。選考会が終わったら日本代表に選ばれ、できることを一つ一つ増やす中で、パラリンピックに出場できました。

山口 隠れた才能が花開いた。

田口 負けん気が強かったかもしれません。でも、周囲の支えのおかげです。障がいになり、スポーツをして初めて、見返りなしで人のために行動する人の多さに気付きました。

山口 スポーツには人の気持ちを引き寄せ、生み出し、輪にする働きがありますね。

鈴木 周りの人は田口さんから元気をもらっているはずです。

山口 スポーツは大勢の人を喜ばせ、元気にします。才能を見いだすチャンスにもなります。一人一人の可能性は計り知れません。公明党がスポーツ庁設置を提案し、スポーツ基本法の成立に力を注いだのもそのためです。関連予算はこの10年で、約2倍になりました。

鈴木 スポーツ人口の裾野を広げることは大切です。スポーツ庁の役割は、全ての国民が健康で文化的な生活を送るための環境整備や、障がい者の方を含めた共生社会実現にあります。

田口 パラリンピックは第2次世界大戦で傷ついた兵士にスポーツを楽しんで元気になってもらおうと英国で始まりました。私は、射撃を始めたことで目標を持てるようになりました。身近な目標を持てるのがスポーツの良さです。

鈴木 その通りです。将来、国民の皆さんからスポーツ庁を設置して良かったと言われるように頑張ります。

山口 今年は「参加」をキーワードにできたらいいですね。スポーツは健康寿命を伸ばすことにもつながります。併せて、今夏の参院選からは18歳以上で投票できるようになります。青年世代の政治参加を広げ、明るい未来をつくっていきます。

略歴

すずき だいち

1967年、千葉県生まれ。88年ソウル五輪で「バサロスタート」を駆使し100メートル背泳ぎで金メダル。引退後は米ハーバード大にも留学。順天堂大学水泳部監督、日本水泳連盟会長などを歴任した。

たぐち あき

1971年、大阪市生まれ。25歳で脊髄の病を発症。射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続パラリンピック出場。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員。

公明新聞のお申し込み

公明新聞は、激しく移り変わる社会・政治の動きを的確にとらえ、読者の目線でわかりやすく伝えてまいります。

新聞の定期購読