衆院憲法審査会 北側副代表の意見表明(要旨)

公明新聞:2015年6月12日(金)付

平和安全法制について意見表明する北側副代表ら=11日 衆院憲法審査会平和安全法制について意見表明する北側副代表(左端)ら=11日 衆院憲法審査会

11日の衆院憲法審査会で、公明党の北側一雄副代表が行った意見表明と自由討議での発言の要旨は以下の通り。

日米安保の抑止力向上で

紛争の未然防止めざす

わが国の防衛は、主として自衛隊と日米安保条約に基づく米軍との二つの実力組織によって確保されている。そもそも、自衛隊や日米安保条約には違憲の疑いがあるという立場の人は別として、このこと自体を否定する人は少ないと思う。

日米安保条約に基づき、日本防衛のため、日本近海の公海上で警戒監視活動をする米艦船への武力攻撃があった場合、自衛隊はこれを排除できるのか? 日本にはまだ、武力攻撃はないという前提で、これに対する対処がどこまでできるのか、必ずしも明らかではない。以下の三つの立場が考えられる。

第1に、個別的自衛権で対処できず、米艦船への武力攻撃を排除できないという立場だ。しかし、この考え方で、日米防衛協力体制を維持できるのか。特に弾道ミサイルや核開発が進み、軍事技術も飛躍的に高度化するなど、わが国をめぐる安全保障環境は厳しさを増している。

日米防衛協力体制の信頼性・実効性を強化し、抑止力を向上させて、紛争を未然に防止していくこと以外の現実的な選択肢はないと思う。そのためには、少なくともこの事例のような、日本防衛のために活動している米艦船への攻撃を排除できるとしておかなければならないと考える。

第2に、個別的自衛権で対処できるとの立場だ。例えばわが国領海内で活動する米艦船に対する武力攻撃ならば、わが国に対する武力攻撃の着手と評価できるだろうが、公海上で活動している米艦船への攻撃の場合、わが国に対する武力攻撃の着手と言えるのか。一般的には疑問と言わざるを得ない。

先日の小林節参考人(慶応大名誉教授)の意見は、ホルムズ海峡での機雷掃海の事例まで挙げて、個別的自衛権で対処できると言われているようだが、武力攻撃の着手概念をあまりに広く解釈されており、国際法上はとうてい認められない主張と言わざるを得ない。

第3に、個別的自衛権での対処は困難な場合が多く、国際法上は集団的自衛権を根拠として米艦船への攻撃を排除すべきとの立場だ。この立場の最大の課題は、憲法9条との関係。国連憲章51条に定める、フルサイズの集団的自衛権の行使を、憲法9条が許容しているとはとても考えられない。憲法9条の下で、自衛の措置はどこまで許されるのか、その限界はどこにあるか、昨年7月1日の閣議決定に至るまで、与党協議での最大の論点はここにあった。

1954年に自衛隊が創設され、60年に日米安保条約が改定された。先ほど高村自民党副総裁から紹介があった砂川判決は、この時期の最高裁判決。59年だ。

砂川判決では、憲法前文に記された、平和的生存権を確認した上で、「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために、必要な自衛のための措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と述べている。憲法9条と自衛権の問題について触れた、唯一の最高裁判決だ。憲法9条下で、許容される自衛の措置について、その後、最高裁で判断されることはなかった。

また日本の憲法学界でも、自衛隊や日米安保条約がそもそも違憲かどうかという議論はあっても、わが国の安保環境を踏まえつつ、憲法9条と自衛の措置の限界について、突き詰めた議論がなされたということを残念ながら私は知らない。

憲法9条の下で自衛の措置はどこまで許されるのか。この論議をどこでしてきたかと言えば、安保法制が論議になる度に、もっぱらここ国会の場で政府との間で論議が積み重ねられてきた。9条と自衛権という重いテーマについて、まさしく国会論議の中で政府見解が形成されてきたわけだ。

9条は「自国防衛」容認

武力攻撃から人権守るため

数ある政府見解の中で、最も論理的に詳細に論じているのが、72年の「集団的自衛権と憲法との関係」という内閣法制局の見解だ。

(72年見解は)憲法9条、前文の平和的生存権、そして13条の「生命、自由および幸福追求権」に触れた上で、「わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを、禁じているとはとうてい解されない」と、砂川判決と全く同様のことを言っている。

そして、「しかしながら」という接続詞をあえて使った上で、「だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという、急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」と述べている。

今、私が引用した部分が、9条下で許される自衛の措置についての法理、規範に当たるところで、まさしく政府見解の根幹、基本的な論理に当たるところだと考える。要するに国民の基本的人権が、外国の武力攻撃によって根底から覆される急迫不正の事態には、その権利を守るために自衛の措置を取ることが、憲法上許されるということだ。

72年見解では、法理、規範に当たる根幹部分の後に、「そうだとすれば」と言った上で、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする、いわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されないと結論付けているが、これは、先ほどの法理、規範を当てはめた部分だ。

現在の安全保障環境から見れば、いまだわが国に対する武力攻撃に至っていない状況でも、他国に対する武力攻撃があり、これによって国民の基本的人権が根底から覆される急迫不正の事態があり得るとの認識を、私どもは共有した。こうした認識の下で、新3要件を提案し、昨年7月の閣議決定に盛り込み、今般の安全保障法制の法案にも明記している。

新3要件は72年見解の枠内

新3要件新3要件の第1要件にある「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、国会答弁で、内閣法制局長官が「他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままではすなわち、その状況の下、国家としてのまさに究極の手段である武力を用いた対処をしなければ、国民にわが国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であることを言う」と答弁している。

第2要件について、国の存立を全うし、国民を守るために、他に適当な手段がないということについても、「他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使についても、あくまでもわが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置に限られ、当該他国に対する武力攻撃の排除、それ自体を目的とするものではないということを明らかにしているものと考えている」との答弁がある。自国防衛に限られる、他国防衛を目的するものではないということを明確にしている。

第3要件の必要最小限度の実力行使についても、必要最小限度とは、わが国の存立を全うし、国民を守るためとある。第2要件を前提とした、わが国を防衛するための必要最小限度ということであると答弁しているところだ。

冒頭の事例で「日米安保条約に基づき、日本防衛のため、日本近海の公海上で警戒監視活動をする米艦船への武力攻撃があった場合、自衛隊はこれを排除できるのか?」との問いに対し、私どもはこの新3要件に該当する可能性が高いと考えている。

以上から、先日の長谷部恭男参考人(早稲田大教授)の意見の中で、「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」などとの批判があったが、これは全く当たらないと言わざるを得ない。先ほど述べたように、新3要件は、従来の政府見解の基本的な論理を維持し、かつそれを現在の安全保障環境に当てはめて導き出されたものだ。また、新3要件の意味について不明確との批判があったが、新3要件それぞれの意味については、首相、内閣法制局長官が、この1年間、一貫して先のような答弁を繰り返しており、不明確だとは考えていない。

私たち国政に携わる者は、まず現下の安全保障環境をどう認識するのか。その上で、国と国民を守るため、どのような安保法制を整備する必要があるのか。憲法との適合性をどう図るのか。こうした論議をしなければならないと考える。

他国防衛の 集団的自衛権行使は認めず

【自由討議】(野党議員の意見の中で)まず砂川判決をどう位置付けるかという話が今日も議論になった。憲法9条には、自衛の措置がどこまで認められるのかについて書いていない。

9条の下で許される自衛の措置について一番最初の最高裁判決が、この砂川判決である。そこでは、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ると言っている。59年の判決なので、当然、45年の国連憲章51条に個別的自衛権または集団的自衛権という言葉があることを分かった上で、個別的自衛権とも言わず集団的自衛権とも言わず今のように表現をしている。

いわば集団的自衛権、個別的自衛権という観念ではなくて、また集団的自衛権と言われている観念を排除しているものではないと少なくとも言えるだろうと思う。ただ、この砂川判決で言っているのはこの部分だけ。自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を、さらに憲法9条の下でどこまで許されるのか、その限界をさらに検討する必要が当然あるわけで、砂川判決はそれを内閣、政府、また国会に委ねたと私は思う。

72年見解には、集団的自衛権という言葉は4回出てくる。集団的自衛権という言葉の前に「いわゆる」という言葉が3回、そして「右の」というのが1回出てくる。全てこのような形容詞が付いている。まず一番最初に出てくるいわゆる集団的自衛権というのは、集団的自衛権のまさしく定義である。この定義は何かと言えば国連憲章51条の集団的自衛権、他国防衛を目的とした集団的自衛権も含むフルサイズの集団的自衛権を、いわゆる集団的自衛権と定義している。以下、あと3回の集団的自衛権も「右の」とか「いわゆる」と言っているわけで、同じフルサイズの集団的自衛権についてこの政府見解は述べていると私は考える。

そういう意味で先ほど長妻議員(民主党)が言った72年見解の第2段落にある集団的自衛権も、まさしくそういうフルサイズの集団的自衛権であり、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されないとの立場に立っているというふうに私は読めるのではないかと考えている。

それから日本防衛のために日本の近海の公海上で活動している米艦に対して武力攻撃があった場合に日本の自衛隊がこれを排除できるのかという問題に対して個別的自衛権で対処できるという意見があった。過去もこの議論、相当国会でされている。

先ほど長妻議員が言ったように、答弁を見ると状況によってはとか、個別具体の事例によってはという表現になっている。では一体この状況とはどういう状況なのか。個別具体的な事情とはどういう場合なのか、ここが非常に不明確なまま今日まで来てしまっている。わが国領海内での米艦であれば、それはわが国に対する武力攻撃の着手と言えるだろう。

またいったん、わが国に対する武力攻撃があって、その後、米艦が公海上に出て攻撃を受ければ確かに個別的自衛権と言えるだろう。ただ、どこまでが個別的自衛権発動の要件となる着手と言えるかについて極めて曖昧、はっきりしていない。いずれにしてもわが国をめぐる安全保障環境をどう認識しているのか、この国と国民を守るためには安全保障上の必要性はどこにあるのか、ないのか、こうした議論をしっかりやっていかねばならないと思う。

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