島民の夢がつながった

公明新聞:2015年2月10日(火)付

横断幕を掲げ、手や旗を振って渡り初めしてきた人々を大歓迎する伊良部島民横断幕を掲げ、手や旗を振って渡り初めしてきた人々を大歓迎する伊良部島民

伊良部大橋(3540メートル)が開通
“40年の悲願”ついに実る
市域が一つに島の発展に大きく期待
沖縄・宮古島市

通行無料では国内最長

40年の歳月を経て、ついに島民の夢が一つにつながった――。沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島を結ぶ「伊良部大橋」(橋部分3540メートル)が1月31日、開通し、記念式典が開かれた。同橋は無料で通行できる橋として国内最長。式典には、公明党の遠山清彦・沖縄方面本部長(衆院議員)、中野洋昌衆院議員、前島明男、金城勉の両県議、富永元順、高吉幸光の両市議も出席した。

伊良部島は、沖縄本島から約300キロ離れた宮古島の北西約5キロに位置する。“離島の離島”と呼ばれ、生活環境が整った宮古島には、これまでフェリーでしか渡ることができなかった。このため医療や教育、経済などの環境面で、長年にわたって「島ちゃび(離島苦)」を強いられてきたが、今後は人・モノの流れが活発化すると予想され、同市全体の発展に大きく寄与すると期待されている。

架橋要請活動は今から約40年前に、旧伊良部村だった伊良部島民が、離島苦の解消をめざして取り組んだのが原点。伊良部大橋の完成は、地元島民にとって長年待ち望んだ悲願であり、島の発展を未来へとつなぐ大きな夢となっていた。

宮古島と伊良部島に橋が架かったことで、同市は主要5島(宮古島、池間島、来間島、伊良部島、下地島)が全て陸路でつながり、市域が一つに結ばれた。

この日、一般開通に先立ち、宮古島側の橋のたもとでは、記念植樹やテープカットなどを実施し、式典出席者全員で渡り初めを行った。伊良部島側では、多くの島民が招待者らの到着を待ち構え、旗や手を大きく振って歓迎。橋の下の海上では大漁旗を掲げた漁船団がパレードし、島中が喜びであふれかえった。

渡り初めの後、県立伊良部高校で行われた開通式典で翁長雄志知事は、「伊良部大橋は、住民生活の利便性の確保はもとより、伊良部島の教育、医療、福祉などの生活環境の向上につながる」と指摘。その上で、「地域の産業基盤の整備や観光資源の開発を支援するなど宮古圏域の振興に大きく寄与すると確信している」とあいさつした。

また「橋が架かることなど想像もできなかった」と話す同校2年で生徒会長の棚原大翔君は、「希望に満ちた島の未来を島民全員で築いていけるよう、責任と誇りを持って歩んでいきたい」と決意を語った。

同橋は同日午後4時に全面開放され、多くの一般車両が一斉に宮古島と伊良部島を行き交い、島と島がつながったことを実感していた。歩道には、早速、親子連れが橋の上から見る初めての景色を楽しみながら歩く姿も見られた。

公明、予算確保などに尽力

伊良部大橋の建設をめぐっては、地元の県議や市議と連携をしながら、公明党の北側一雄、伊良部高校での開通式典に出席した遠山、中野氏ら公明党議員故・冬柴鉄三、太田昭宏の歴代国土交通相(いずれも衆院議員)が予算の確保に尽力。山口那津男代表も2010年に伊良部島を訪問し、建設現場を視察するとともに地元住民らと懇談。離島の生活を守るために同橋の建設推進を約束するなど、公明党が一貫して取り組みを後押ししてきた。

一連の行事を終えて遠山方面本部長は、「(宮古島の歴史に)新たな1ページが刻まれた。今後、伊良部大橋を活用して、宮古島市全体がさらに発展していけるよう、公明党としても最大限に応援していく」と述べ、離島振興へのさらなる意欲を燃やしていた。

同橋は2006年に着工。橋部分に加え、海中道路なども含む全長は4310メートルで県内最長。総事業費は約395億円。

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