平和国家の道筋 今後も貫く

公明新聞:2014年7月3日(木)付

安全保障法制の整備について見解を述べる山口代表=2日安全保障法制の整備について見解を述べる山口代表=2日

日本取り巻く安保環境が変化
山口代表のあいさつから

安全保障法制の閣議決定について、公明党の山口那津男代表は2日、都内であいさつし、次のように述べた(要旨)。


日本国憲法前文には、日本国民が平和的に生存する権利があると書かれている。13条には生命、自由、幸福追求の権利があると。その上で、政府は国民のこれらの権利を守っていく責任があると書かれている。政権を担う与党にもまた、同様の責任がある。一方、9条では戦争を放棄して海外で武力による威嚇や行使をしてはならないと書いてある。そして、これらの目的を達成するため、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と。

国民の命や平和な暮らしを守っていく責任が政府にあるということと、陸海空の戦力は持たないということは、一見矛盾するように見える。9条の戦力を持たないという条文を強調して、一切の軍備は禁じられていると考える人たちもいる。しかし、国民の命と平和な生活が脅かされ、根底から覆されようという危機的な状況の時に、政府は何もしないというのでは、憲法の精神に合わない。そういう場合に限って、脅威を排除する政府の役目を果たさなければならない。こうした考え方で戦後、自衛隊がつくられた。

今回の議論に当たり、世界の情勢はどう変わってきたかを見ると、戦後、日本は理想的な憲法で出発したが、すぐ隣で朝鮮戦争が起きた。そのころ自衛隊がつくられた。冷戦が終わると、世界でさまざまな紛争が起こってきた。そういう中でPKO(国連平和維持活動)協力法がつくられた。東西陣営の対立が終わるとともに、東側に属していた国々の経済発展が著しくなってきた。日本の周辺を見ても、いろいろな問題や緊張をはらむ場面が増えてきた。軍備を拡張し、弾道ミサイルを開発し、日本を越えて太平洋まで届くものを作るような時代になった。それに何も対応しないでいいのか。不安に思う国民も多くなった。

政府はこれまで、従来の憲法解釈を維持してきたが、日本を取り巻く安全保障環境の変化に対応して、国民の安心感をつくり出さなければならない。と同時に、平和国家としての歩みを踏み外すことがあっては、日本に対する信頼も失い、国民は別な大きな不安を抱くことになるだろう。そうした中で議論が始まり、公明党の果たす役割が極めて重要だと思った。

安倍晋三首相は、安保法制懇(首相の私的諮問機関)で議論を投げ掛けた。世界の情勢からすれば、自衛権についてはお互いにさまざまな国がそれを使い合い、守り合う。他国のために武力を使うことも認めて守り合う集団的自衛権も世界の常識だと。自衛のための武力行使には、個別的も集団的もない、禁じられていない、そう主張する人たちも出てきた。また、国連で集団安全保障措置が取られると、国連で決めたことには、日本の憲法の制約が及ばない、国連の決めたことに従って何でもできる。こういうことを言う人も出てきた。

しかし、それでは、日本は憲法の下で、国民の命と平和な暮らしを守るためだけに実力を使うことを許される、という矩を越えてしまう。だから政府が長年とってきた考え方を基本として、それを踏み外すようなことはやってはいけないと公明党が論陣を張った。そして、専門家の安保法制懇の議論を受けて、安倍首相はまず、「個別も集団もなく、武力行使に限界はない、禁じられていない」という考え方を採用せず、否定した。

憲法解釈の基本を継承

論理的整合性、法的安定性、規範性守る

また、国連が決めたことに、憲法の制約は及ばないという考え方も採用しなかった。それはなぜか。長年、政府がとってきた考え方とつじつまが合わない、筋が通らないからだ。公明党と連立政権を運営していくに当たって、政府の考え方をまるきり変えるようなことがあれば、政権を保つことはできないだろうし、また、政府自身が信用を得られないだろう、ということで採用しない。これまでの政府の考え方とつじつまが合わなくなるからだ、こう言った。ちょっと難しい言葉で、論理的整合性がないからだという言い方をした。

そして、議論すべき土俵は三つ。例えば、有事、平時という言い方があるが、有事でも平時でもない時にどうするのか。あるいはPKO、多国籍軍などにどうやって参加していくのが望ましいか。そして、日本を守るためにどういう在り方がよいのか。憲法9条をめぐって、自衛の在り方について議論になった。そこで公明党がどういう歯止めをかけて結論を導いたかをお話ししたい。

先ほど言った「個別も集団もなく武力行使は何でもできる」という考え方は退けられた。そして、「国連が決めたことには憲法の制約なく参加できる」という考え方も退けられた。いま多くのマスコミは、その退けられた考え方に引きずられて、そればかり想定した論調があまりにも多い。しかし、与党で議論になったことは、本当に日本の国民の命や平和な暮らしに危機が及ぶ時にどうしたらよいのか、ということだ。

そこで公明党は、難しい言葉で言うと、政府の憲法解釈の論理的整合性があるかどうか、これが大事な目標。もう一つは、長い間、尊んできた政府の考え方は法的に安定性を持っているから、この安定性を壊してはならないと強く主張した。

さらに、憲法は歯止めとしての役割を持っている。つまり日本の国民の命と平和な暮らしを守るためにだけ、武力の行使が許されるのであって、それ以外のところで武力を使うことは、憲法が持っているルール、規範としての役割を外れてしまう。この憲法の規範性を保つべきだ。論理的整合性、法的安定性、憲法の規範性をしっかりと確保すべきだと主張してきた。

つまり、政府が長年とってきた考え方の大本は、1972年に示した考え方に尽きている。ここで示したことは、憲法9条は一見、非武装を書いているように見えるが、国民の基本的な権利を考えると、それが根底から覆され、侵されようとしている時に、それを防ぐための必要最小限の措置は、政府として取っていかなければならない責任がある。他にこれを守る手段がない場合、やむを得ない場合だけ、必要最小限で実力、つまり武力を使ってもいいということが書かれている。

そして、日本が攻撃を受けていないけれども、密接な関係のある国が攻撃を受けた時に、この攻撃を排除するために使う武力の行使、集団的自衛権は認められないとし、ずっとこの考え方を基本にしてきた。しかし実際は、2003年には日本の領土、領空、領海以外の公海であっても、日本を守るために日本の船と一緒に行動している米国の船に攻撃が加えられた場合には、この攻撃は日本に対する攻撃と同じだから自衛権を使えるという考え方を打ち出した。

外国防衛が目的の集団的自衛権は認めず

公明の強い姿勢で行使に多くの歯止め

今回は、外国を防衛すること自体を目的とすることも含む、いわゆる集団的自衛権は、憲法の目的ではないとした上で、日本の存立が脅かされ、国民の生命、平和な暮らしができなくなるという、やむを得ない場合にだけ、必要最小限の武力を使うことは許されると。この考え方は、72年に示された考え方とつじつまが合う核心部分だ。それを保った上で、わが国を守るための自衛措置に限って認める。その場合には、日本を守るために、日本と一緒に活動している米国の船に対する攻撃でも、それは日本を守ることと同じ、それを跳ね返す自衛権の行使はできるとの結論にした。

それを曖昧に認めるのではなく、日本の存立が脅かされて、国民の権利が根底から覆されるような明白な危険がある場合にのみ、ほかに手段がなければ、わが国を防衛する反撃として必要最小限の武力は使えるという考えにした。ここで「明白な危険がある場合」としたのも重要なポイントだ。「おそれ」という表現も一時提案されたが、政府が勝手に解釈できる余地がある。そういう余地をなくして、客観的に誰が見ても判断できるような手掛かりとして、「明白な危険」という条件を付けた。

例えば、攻撃してくる国があった場合、その国がどういう意志、意図、または能力を持っているか。そしてその攻撃がどういう場所で行われて、それによって日本の国民が、どういう影響を受けるのか。国民の犠牲がどれだけ深刻であるかをきちんと判断し、明らかな危険があるかどうかを判断しようと。これも大きな歯止めの一つだ。

そして、そう決めたことは、長年政府がとってきた考えだから、これからも変えてはいけないということも決めた。72年に説明された考え方の基本は、筋を通して守らなくてはならない。だから、論理的整合性は保たれている。そして72年から42年間、ずっととられてきた考え方をこれからも維持すると決めた。基本となる柱をこれからも維持するのだから、法的に長く安定する。これ以上変えるなら、憲法改正しかないということも決めた。法的安定性が保たれているということだ。

また、今回、憲法解釈を変えたことを改憲だと言う人がいるが、そうではない。他国を防衛すること自体を目的とする、いわゆる集団的自衛権は否定しているわけだから、わが国を自衛する場合にだけ武力を使うことが許される、そういう柱は守ったわけだから、これは憲法の規範を変えるものではない。もし、これを変えるならば、憲法改正しかないと決めたわけだから、憲法の規範性も守られたことになる。

政府のこれまでの憲法解釈を基本にして、その筋が通り、骨格、柱が曲がらないようにする。そして長年とってきた考え方をこれからもずっと守り抜いていくということを決めた。そして、他国を防衛することそのものを目的にするような、いわゆる集団的自衛権は認めないとはっきりさせた。自国を防衛することのみに限るということをしっかりと、政府が勝手な判断ができないような、そういう考え方をしっかりと埋め込んだ。ここに憲法の実質的な変更というものはあり得ないということを明確にした、という意味で、公明党の歯止めをかけた頑張りというものがしっかり表れている。

私は昨年の参院選挙の時に、「外国を防衛すること、それ自体を目的にすることを含むような集団的自衛権は反対だ」と申し上げた。この公明党の強い姿勢があればこそ、安倍首相は安保法制懇の報告を受けた時に、「もう個別も集団もない、自衛権は禁じられていない、何でもできる」という考え方を否定した。その後の議論においても、公明党がさまざまな歯止めをかけて、そうした結論になった。

これから国会論戦(閉会中審査)が始まる。野党の皆さんにも十分な議論をしていただきたいと思う。われわれは政府がきちんと答弁できるよう、すでに与党協議の中で議論を積み重ねてきた。今後、この閣議決定に基づいてさまざまな立法措置、法律の改正が出てくる。基本的な歯止めをかけたことがきちんと中身に反映されているかどうか、今後、公明党が見極めていきたいと思うし、法案審議の中でも、しっかりと議論していく。それらを通じて、国民の皆さまに、今回の方針の決定の本当の意味を、十分に理解していただけるようにしたい。これから国会議員が率先して、公明党挙げて、国民の皆さまにその真意を伝えられるように堂々と、そしてしっかり丁寧に訴えていきたい。

公明党は平和国家としての歩み、その柱をつくってきた。専守防衛をずっと主張してきた。他国に脅威を与えるような軍事大国にならない。さらに、非核三原則も尊い日本の柱である。こうした平和国家としての柱は、今後ともしっかりと貫かれるということをあらためて確認した。この歩みをしっかり進めていきたい。

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