3.11 命みつめて

公明新聞:2013年12月11日(水)付

家族4人の遺影を前に、孫の形見のランドセルを見つめる鈴木さん。「誰かいる時は笑って話してるけど、一人になると黙っていても涙が出てくるんだ」家族4人の遺影を前に、孫の形見のランドセルを見つめる鈴木さん。「誰かいる時は笑って話してるけど、一人になると黙っていても涙が出てくるんだ」

妻よ、息子よ、嫁よ、孫よ
岩手・釜石市 鈴木 堅一さん
「じじは負けねぇ、強く生きる」

仮設住宅の入り口をくぐると、壁に掛けられたオレンジ色のランドセルが目をひいた。少しくたびれた、女の子用のランドセル。「誰かが見つけて、預かり所に届けてくれたんだ」。ここに一人で暮らす鈴木堅一さん(70)は、優しい目でランドセルを見上げた。「ほかは全部流されちまったから……。これだけは、いつでも目に留まるところに置いておくんだ」

3.11の大津波は、鈴木さんから妻と長男夫婦と、そして孫娘を奪い去った。 

岩手県釜石市の鵜住居町に暮らす鈴木さんはあの日、妻の信子さん(当時64)と、消防署員で非番だった長男の健幸さん(同44)、奈津子さん(同45)夫妻と自宅にいた。午後2時46分。経験したことのない激しい揺れが4人を襲う。「津波が来るぞ」。消防団の本部長を務める鈴木さんは法被を身にまとった。健幸さんは、娘の理子ちゃん(同11)を迎えに鵜住居小学校に向かうという。「気をつけて行けよ」「親父もな」―最期の言葉だった。

鈴木さんは水門を閉めに海岸へ。到着してすぐ、防潮堤を乗り越えてきた津波から間一髪で逃れた。地元に戻ろうと山を越える途中、自宅付近を見下ろすと、一面が湖になっている。自宅は、屋根がわずかに見えるだけだった。まさかここまで津波が来るとは……。「無事でいてくれ」



震災から4日目、道路のがれきが撤去され、自宅に戻ることができた。親子で6年前に建て替えた家は、津波に流されずに残っていた。しかし、突き刺さったがれきで中に入っていけない。途方に暮れていると、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「じじ!」―理子だ。2階を見上げると、風もないのに、窓に掛かったボロきれが揺れている。そして、また声がした。「お父さん」。妻の声だった。「誰も信じないけど、確かに聞こえたんだ。それで分かった。2階にいるんだって」

7日目、外国のレスキュー隊が2階の子ども部屋に足を踏み入れると、4人は寄り添うように亡くなっていた。最後まで家族を守ろうとしたのだろうか。健幸さんは両腕を大きく広げていた。「息子には、ありがとう、って声を掛けたよ」



鈴木さんは、生まれも育ちも釜石市。中学卒業後、市役所の運転手として42年間にわたり勤務した。妻の信子さんとは23歳で結婚。定年後はどこに行くのも一緒だった。健幸さんは消防署に勤め、救急救命士として活躍。親分肌で、多くの後輩に慕われていた。物静かな性格だった嫁の奈津子さんは、いつもおいしい手料理を家族に振る舞った。

そして、小学5年生だった理子ちゃん。「一人っ子で、わがままで。きかなくて」。親に叱られると、「じじと寝る!」と言って布団にもぐり込んできた。口げんかもよくした。「くそジジィとか、ハゲ、って言うんだ」「夢でもいいから、もう一回言ってけろ」。孫の写真を見つめる鈴木さんの目に、涙が浮かぶ。

震災から21日目。盛岡市の火葬場で、家族の遺体を荼毘に付した。一人で、4人の骨を拾った。「一人拾ったら、また一人と。流れ作業みたいだったよ。……あんな思いは、もう誰にもさせたくねぇな」

もう一度、皆の家を
消防団員として奮闘

安倍首相に消防団の震災対応を報告する鈴木さん=1日(釜石市消防団提供)昨日まで一緒にいた家族を、一瞬にして失う。その喪失感、絶望感はどれほどのものだったろう。しかし、鈴木さんは救援の最前線に立ち続けた。消防団の屯所への泊まり込みは、震災から2カ月以上にも及んだ。「天災だから、誰を恨むわけにもいかねぇ。自分の責任は、果たさないとな」

 

先に逝った家族を悲しませないためにも、生き残った自分が強くあらねば―。そんな意地が、言葉の端々ににじむ。鈴木さんは昨年4月に市消防団の副団長に就任。8人が殉職した消防団の再建に取り組む。今月1日には、釜石市を視察に訪れた安倍晋三首相に対して、山崎長栄団長(公明市議)とともに「消防団の存続へ、国の力添えを」と訴えた。安倍首相は何度もうなずきながら語った。「消防団の活躍で、多くの尊い人命が救われた」



更地が広がる鵜住居町。その一角に、雑草がきれいに刈り取られている土地がある。鈴木さんの自宅があった場所だ。

釜石市鵜住居町にある鈴木さんの自宅跡地。震災後に植えたヒマワリは今年の夏も大輪の花を咲かせた震災後、「家族が住んでいた証しに」と植えたヒマワリは、この夏も大輪の花を咲かせた。鈴木さんは、ここにもう一度、家を建てるつもりだ。「小さくてもいいから、早く建てて、仏さんを落ち着けてやるんだ」。家には、理子ちゃんの部屋をつくる。「理子は、うれしいことも悲しいこともこれからだから」

昨年、糖尿病と診断された鈴木さん。毎朝、ウオーキングを欠かさない。そして、家族4人の写真が刻まれた墓に、線香を上げにいく。「みんなの家を建てるまで、負けてられねぇ。じじは頑張るから、もう少し待っててな」

仮設住宅を出る鈴木さんの後ろ姿を、理子ちゃんのランドセルが静かに見送った。

(東日本大震災取材班 遠藤伸幸)

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