「清潔政治」の原点

公明新聞:2013年1月30日(水)付

リコール署名で解散に追い込んだ“17人のサムライ”

政界浄化へ、都議会を解散へ追い込んだ公明党のリコール署名運動=1965年5月「都議会は伏魔殿。政治とはそういうものよ」。長年、“宴会政治”や“なれあい政治”が横行していた東京都政に、あきれ果てていた都民。「カネのない俺たちの声なんて聞く耳もない。所詮は、利権をむさぼる“政治屋”だもんな」

そんな都政に変化の胎動が見え始めたのは、1963年だった。同年の都議選で当選した公明党議員は、“17人のサムライ”と呼ばれ、伏魔殿東京都政の改革を看板に掲げ、次々と不正をただしていった。藤井富雄氏(当時、都議)は、「汚職と疑惑の連続に終止符を打つ。都政を都民の手に取り戻す。出馬の段階から命に刻んでいた」と振り返る。

当時、東京・千代田区丸の内にあった都議会庁舎。20坪ほどの公明党控室に、幼子を抱えた割烹着姿の女性たちが入っていく。「場違いな人たちが何でこんな所に来るんだ?」。周囲は異様な目で見ていた。

「お願いだから、その目で一度見てください。ウジが家の中まではい上がってくるのです」。女性らの悲鳴にも似た叫びに、公明党議員は即座に動いた。これが後に歴史に刻まれた隅田川のし尿処理問題だった。それまでの政党では考えられない取り組みに、「『次は何をやらかすのか』と、報道各社は都議会公明党の番記者を増員体制にしていた」(大川清幸氏、同)という。マスコミの注目度が日増しに高まり、都議会公明党の姿を見ていた庶民は、心を揺さぶられた。「都政が変わるかもしれない」

そして65年、都民のたまっていた感情が吹き出した。そのきっかけとなったのが、同年3月の議長選をめぐる贈収賄で、自民党議員が17人も逮捕される事態となった大疑獄事件だ。「都議会は狂っている」「汚れた議員、もうご免」(同年4月25日付「毎日」)。都民は激怒した。「腐った都政を立て直せ!」

世論の追及に、お茶を濁し続ける政治屋たち。都議会公明党は解散リコール署名運動に踏み切った。これが引き金となり、都議会は解散した。

そして同年7月の出直し選挙で都議会公明党は、擁立した23人全員が当選。解散前と比べ、得票の伸びは各党を圧し、都議会公明党への都民の期待度を示した。

政界浄化、清潔政治の公明党の原点が都議会公明党の闘いによって確立された瞬間だった。

公明新聞のお申し込み

公明新聞は、激しく移り変わる社会・政治の動きを的確にとらえ、読者の目線でわかりやすく伝えてまいります。

新聞の定期購読