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東日本大震災から9年 被災地の春(中)
宮城県
唯一のスーパーが復活 女川町
開店準備で商品を並べる従業員。店内は活気がみなぎっていた=宮城・女川町
東日本大震災から9年が過ぎた12日、宮城県女川町でスーパー「おんまえや」が再開した。
震災前、おんまえやは、町で唯一のスーパーとして住民に親しまれていた。しかし“あの日”の大津波で店舗は全壊し、当時の社長と従業員ら計9人が犠牲に。甚大な被害に遭いながらも「お世話になった地域を支えたい」と移動販売や仮店舗で営業を続けた。
町の復旧、復興の一助を担ってきた同店。震災前の店舗跡地一帯が、およそ8メートルかさ上げされた場所で新店舗を構えた。「野菜は棚に!」「果物はもっと前に出そう」。開店前の10日には、従業員の活気あふれる声が店内に満ちていた。
店の正面には「『まち・ひと・モノ』すべてに“感謝”ありがとうの気持ちを込めて」の言葉を掲げている。同店運営会社の阿部哲也さんは「再開までに、さまざまな人、女川の町そのものに助けてもらった。その感謝の思いを表した」という。営業再開の12日、店は朝から、待ちわびた町民で大いににぎわっていた。
町の復興 イチゴに託す 山元町
東北有数のイチゴ産地だった宮城県山元町。その豊かな大地は3.11の大津波で壊滅的な被害を受けた。
震災後、同町では、沿岸部の畑を内陸部に集約。高設の養液栽培と大型ハウスによるイチゴ団地を整備し、町の復興をイチゴに託している。その中でも発災3カ月後に株式会社を設立し、復興のシンボルとなっているのが「山元いちご農園株式会社」。4人で始めた会社には現在、約50人が働いている。
ハウスの中は甘酸っぱい香りに包まれ、真っ赤に色付いたイチゴが実る。今の時期の主力品種は「とちおとめ」「べにほっぺ」「もういっこ」など。農家の人たちは朝早くから、額に汗を浮かべながら赤い果実を一つ一つ丁寧に摘み取っていた。就農1年目の水戸聖人さん(19)は「おいしいイチゴを届けて、皆さんを笑顔にしたい」とにっこり。
同社の岩佐隆代表取締役は「今後も農業を通じて、人を育て、仕事を生み出し、地域を耕していきたい」と力を込めた。