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2020年3月11日

東日本大震災9年 また海と生きる、二人で

津波に負けず 浜の元気取り戻す 

宮城県南三陸町戸倉地区。ここでカキ養殖を営む阿部徳治さん(59)、民子さん(58)夫妻は大津波で全てを流された。残ったのは1隻の漁船だけ。それでも二人は海と生きることを誓い、歩み続けている。(東日本大震災取材班 文=西村碧、写真=千葉正人)

宮城・南三陸町のカキ漁師 阿部徳治さん 民子さん夫妻

2011年3月11日午後2時46分。海の上で養殖棚に種ガキをつるしていた徳治さんは、船底を突き上げる振動に驚いた。

「エンジンぶっ壊れたべか?」。波とは違う異様な揺れに地震と気付き、無我夢中で漁船を沖へと走らせる。振り返ると陸には、白い波しぶきが上がっていた。民子さんを案じて、何度も携帯電話をかけるがつながらない。海はがれきに覆われ港に戻れず、沖で不安な夜を過ごした。

発災時、民子さんはワカメの作業場にいた。高台にある自宅へ戻ると「津波が来た。山さ上がれ!」との声が聞こえた。半信半疑で近所の人と山へと向かう。背後に黒い水が迫り、急斜面を這い上がったところで助かった。振り返ると、おばあさんが波にのみ込まれた。「夢か、現実か」。体の震えが止まらなかった。

船に乗れない

以前は阿部徳治さん(左)と一緒に船に乗っていた妻の民子さん。震災後は船に乗れなくなったが、インターネット通販や養殖体験ツアーで支えている=宮城・南三陸町

翌日、徳治さんは、近所の民宿に避難していた民子さんと再会。無事を喜ぶも周りには家族を亡くした人もおり複雑な心境だった。

徳治さんは命懸けで船を守ったが、自宅も養殖棚も作業場も流された。父・徳太郎さんは津波で行方不明に(翌年、遺体で発見)。「もう養殖はできね」。徳治さんは呆然となった。

海のない山形・米沢市から漁師町に嫁いだ民子さんは、美しく、豊かな南三陸の海が大好きだった。暑い日も寒い日も、徳治さんと一緒に船に乗って働くのが楽しかった。が、あの日から余震のたび、恐怖がよみがえる。「海が怖くて、船さ乗れない」。町から出たいと思うことさえあった。

そんな民子さんの背中を押したのが全国から集まっていたボランティアだった。若者から教わり、海産物のインターネット通販「たみこの海パック」を立ち上げた。さらには、沖の養殖場を見学する体験ツアーも開始。“浜の母ちゃんの起業”により、地域の女性の雇用の場が誕生した。

持続可能な養殖

カキがびっしり付いたロープを引き上げる徳治さん。戸倉地区のカキは、1年で大きく育ち出荷できる=宮城・南三陸町

戸倉地区の漁師たちは震災前、養殖棚を増やし、量を競い合っていた。やがて「過密養殖」となり、海底に堆積物が増え、海は栄養と酸素が不足。カキの成長は遅れ、品質低下を招いた。

津波被害からの養殖再開にあたり漁師たちは激論を交わした。結論は「過密養殖をやめ、養殖棚を3分の1に減らす」こと。だれもが収入減を覚悟した。ところが、2~3年かかっていた生育期間が1年間に短縮された上、大きく美味しい「戸倉っこかき」としてブランドを確立。船の燃料や資材の費用、労働時間も削減でき、震災前より収入は増えた漁師が多いという。

戸倉のカキ養殖は成長と環境保護の両立が評価され16年、国内初の水産養殖管理協議会(ASC)の国際認証を受けた。さらに19年農林水産祭で戸倉牡蠣部会が天皇杯を受賞。環境にも人にも優しい漁業に、後継者も増え始めている。「漁場改革で働き方改革だね」と徳治さんは胸を張った。

津波に負けず、浜に元気を取り戻そうと奮闘する漁師たち。その物語を民子さんは紙芝居にして、訪れた人に語り続けている。

津波で全てを失いながらも、海の環境を守り、高品質のカキ養殖に取り組む戸倉の漁師の物語を紙芝居で伝える民子さん(右)=宮城・南三陸町

カキの水揚げ風景を動画で紹介!

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