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2018年7月4日

400年前の名建築 名古屋城本丸御殿 復元完了

豪華絢爛な上洛殿など公開
観光活性化のシンボルに
名古屋市

市の担当者から説明を受ける党名古屋市議団(左側)

徳川家康の命によって1615年に建てられ、名古屋城天守閣の南側にあった近世城郭御殿の最高傑作「本丸御殿」。京都二条城の二の丸御殿(国宝)と並ぶ武家風書院造の双璧といわれ、1930年、国宝に指定された。しかし、45年の空襲によって焼失。2009年から3期に分けて同御殿の復元が行われ、先ごろ完了した。400年前の名建築がよみがえり、6月8日から一般公開されている。

尾張藩主の住居として使われた本丸御殿は、延べ床面積3100平方メートルで、30以上の部屋で構成されている。2013年に襖絵「竹林豹虎図」のある玄関と表書院(広間)を、16年には藩主と身内の対面や宴席の場に利用していた対面所などが復元され、部分的に公開してきた。

今回公開された豪華絢爛な上洛殿

今回公開されたのは、三代将軍の家光が京都に向かう際に宿泊した豪華絢爛な「上洛殿」や将軍専用の風呂場「湯殿書院」など。上洛殿では、日本絵画史上最大の画派「狩野派」の狩野探幽が描いた襖絵「雪中梅竹鳥図」「帝鑑図」のほか、椿・牡丹・鳥などが鮮やかに彫り込まれた欄間が再現された。東京都から見学に来ていた男性は「見事な建物だった。上洛殿の豪華さにびっくりした」と話していた。

同御殿を細部まで復元できたのは、江戸時代の文献や戦前に撮られた約700枚のガラス乾板写真、309枚の実測図、約2000個の礎石など、豊富な史料が現存していたからだ。これらの史料を基に、当時の建築技術を現代の匠が受け継ぎ、工事が行われてきた。

同御殿の内部を彩っていた障壁画のうち、移動可能であった襖絵や天井板絵は、空襲の直前に市職員によって取り外され、焼失を免れた。その後、1047面が国の重要文化財の指定を受けている。1992年、顔料・材料の分析を始め、十分な研究に基づいて当時の姿を再現する「復元模写」を開始。現物は焼失したものの、史料が現存している障壁画も合わせた1325面を復元模写する予定で、666面が完了している(3月末現在)。

公明党市議団(三輪芳裕団長)は定例議会で、本丸御殿と名古屋城を観光戦略のシンボルの一つとし、魅力向上を進めるよう主張。また16年度予算要望で、同御殿を観光施策の柱として活用するよう求めていた。三輪団長は「本丸御殿を観光促進につなげ、名古屋市の魅力がさらに向上するよう取り組んでいく」と語っている。

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