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“東日本大震災14年11カ月” 中途失明の絶望を希望に変えて
NPO法人「一歩を楽しむ石巻」代表理事 若山崇さんが刻む復興への足跡(宮城・石巻市)
東日本大震災の被災地、宮城県石巻市で視覚障がい者の自立支援と社会参加、そして災害から命を守る活動を続ける市民グループがある。NPO法人「一歩を楽しむ石巻」だ。同法人を設立した中途失明者の若山崇さん(56)の3.11からの復興の足跡をたどりながら、視覚障がいと防災について考える。=東日本大震災取材班
■健常者と「見えない世界」を共有
NPOの事務所で作業する若山さん。お出かけはパートナーの盲導犬ダンデといつも一緒=2月6日 宮城・石巻市
視覚障がい者の孤立防ぎ、災害から守る
「車が運転しづらい。疲れ目かな」。27年前、若山さんは目に異変を感じ、検査で網膜色素変性症と診断された。網膜で光を感知する「視細胞」が働かなくなる難病で進行すると失明の恐れがある。4000から8000人に1人が発症するとされ、治療法は確立されていない。「生涯、見える人もいる」と聞き「これ以上、悪くならない」と自分に言い聞かせた。
2011年3月11日、若山さんは石巻市鹿又にある障がい者施設で支援員として働いていた。午後2時46分、大きな揺れに襲われると、利用者が転倒しないよう車いすを懸命に支えた。余震が続く中、同僚の女性が「子どもが通う大街道小学校の近くが湖になっている。迎えに行きたい」と話す。若山さんは、職場がある内陸部から女性を乗せて海に近い市内中心部の大街道地区へ車で向かった。
ラジオから「高さ40センチの津波……」と流れ「少し浸水するかも」と若山さんは想像した。車の進行方向と逆に人々が早足で歩いている。目的地へ近づくと前方に、下半分が黒く何かに覆われた車が見えた。女性が降車しようとしたが直感的に「だめだ。職場に戻ろう」と車をUターンさせた。“黒いもの”は津波で、2人は紙一重で逃げられたことを後に知る。
その後、若山さんは知人の安否確認で津波にのまれた市内中心部に通った。車や家が押し流され、周囲にはヘドロと重油の臭いが立ち込める。若山さんは視野が狭く、慎重に集中して行動した。がれきを避け、津波で浸水した中を歩いていると見えないマンホールに転落。偶然、道路の縁に手がかかり命拾いした。
その頃から視力の低下が進み、運転免許を返上し、仕事も辞めた。翌12年には全盲となった。「もう何もしたくない」と無気力に陥った。だが家族の支えもあり、白杖による歩行訓練に挑む。石巻から仙台へ自力で行けるようになった。
ある日、盲導犬との歩行体験に参加。一緒に歩くと「視力を失ってから初めて風を感じた」。日本盲導犬協会に盲導犬の貸与を申し込み、15年11月「トラヴィス」が“相棒”に。視力を失い「あれもできない、これもできない」と絶望していた若山さん。盲導犬と出合い「あれもできる、これもできる」と心の中で希望の“一歩”を踏み出した。
視覚障がい者となって苦労したのは福祉サービスの情報を得たり、申請すること。「当事者が行政手続きに迷わず一日も早く便利な暮らしができるように」と17年にNPO法人「一歩を楽しむ石巻」を設立。現在は小学生から社会人まで74人の当事者と市民が参加し活発な活動を繰り広げる。
先月25日、若山さんらは、視覚障がい者を安全に誘導したり、白杖や盲導犬を使った歩行体験会を開催し、当事者と健常者約40人が集まった。
参加者は、キットを使った弱視の疑似体験や筒状に丸めた紙をのぞいて視野狭窄の人の見え方を再現。盲導犬と歩いた小学3年生の石田彩羽さんは「目を閉じて歩くのは最初怖かったけど盲導犬が障害物を避けるので安心でした」と語った。日本盲導犬協会の大谷孝典さんは「視覚障がいのさまざまな見えづらさを理解し、支援を考えることが大切」と説明した。
若山さんらは、視覚障がい者の孤立やひきこもりを防ごうと茶話サロンも開催。当事者と健常者が気軽に日常会話を楽しみながら交流している。対面のほかオンライン交流にも力を入れ、スマートフォン(スマホ)教室も開く。「普段からスマホの使い方に親しみ、人とつながり、情報発信することで災害から視覚障がい者の命を守りたい」と願っている。
現在、二代目の盲導犬ダンデと歩む若山さん。まぶたの裏の石巻は、震災前の街並みと、がれきや被災した建物が残る街の光景で、時間が止まったまま。復興の進展を目で見ることはできない。今でも“あの日”歩いた場所を訪れると「ヘドロと重油のにおいがよみがえる」という。
「震災からもうすぐ15年。ようやく当時のことを話せるようになった人もいる。一人一人異なる環境に向き合い、それぞれの一歩を支えたい」と誓っている。
キットを使った弱視の疑似体験=同










