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コラム「北斗七星」
それは1934年5月、ギリシャのアテネで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会でのこと。1940年の五輪招致をめざした日本は、IOC委員・嘉納治五郎により、東京がオリンピック都市として選ばれるよう制作した写真集を初めて配布する◆『東洋のスポーツの中心地 東京 ―1940年幻の東京オリンピック招致アルバム―』(監修・真田久、極東書店)では東京市長・永田秀次郎の「招請状」をはじめ、スポーツ施設や競技風景などが撮られた写真を紹介している◆日本は前年の33年3月、満州国問題で国際連盟の脱退を表明。世界の孤児になりつつある中で「精力善用、自他共栄」、つまり自らの力を他者のためにも使い世界の融和協調を願う嘉納ら有志が、世界とのつながりを深めようと東京開催を訴え始めた◆その後、一旦、同開催は決定するが、日中戦争による準備遅延などを理由に日本は開催権を返上。忘れてはならない歴史の教訓だ◆“幻の五輪”から80年。政府はメダル獲得に向けた強化支援などスポーツ関係予算に過去最高額を確保。また訪日客への多言語対応なども進めている。同時に嘉納らが望んだスポーツによる国際親善や、高齢者を含む万人のためのスポーツ振興といった機運が、より醸成されていく機会となることを期待したい。(照)