公明党トップ / ニュース / p48345

ニュース

2020年1月1日

2020新春対談 さあ、東京五輪!壁破る挑戦 未来を変える力に

公明党代表 山口那津男 × 日本パラリンピック委員長 河合純一

あけましておめでとうございます。新春対談は、パラリンピック(メモ)競泳の金メダリストで、日本パラリンピック委員会(JPC)委員長にきょう1日就任した河合純一氏と、公明党の山口那津男代表です。今夏の東京五輪・パラリンピックに対するさまざまな思い、今後の展望など、ざっくばらんに語り合ってもらいました。

河合 人間の可能性を開く祭典
山口 夢へ努力重ねる姿に感動

山口那津男代表

山口那津男代表 今年はいよいよ、東京で2度目の五輪・パラリンピックが開かれます。1964年の前回大会のとき、私は小学6年生。聖火台に火がともされたシーンは、今も鮮やかに思い起こします。

河合純一氏 私が初めてパラリンピックに出場したのは、92年のバルセロナ大会。大歓声の会場で泳いだ感動は、決して忘れられません。私が28年前にそうだったように、世界の選手たちが東京のような大会を再びやりたいと感じてくれたらと望んでいます。

15歳で全盲に

山口 選手時代のお話を詳しく聞かせていただけますか。

河合 水泳が盛んな地域だったので、幼い時から自然と習い始めました。生まれつき左目の視力はなく、右目も弱視でしたが、15歳で全盲に。パラリンピックをめざしました。

世界一を目標に苦しい練習を続け、大学3年生だった96年のアトランタ大会で金メダルを取ることができました。コーチをはじめ、多くの人の支えがあったからです。大学卒業後、教師になるという夢もかなえ、母校の中学校で教壇に立ちました。

山口 努力し、苦労して夢に挑み続ける姿は、たくさんの人に希望と可能性を感じさせます。東京大会は「復興五輪」と位置付けられており、東日本大震災の被災地での競技をはじめ、地震災害に見舞われた北海道の札幌市で行われるマラソンと競歩の盛り上がりは、大きな励ましの力になるはずです。

河合 オリンピックは「平和の祭典」とよく言われますが、パラリンピックは「人間の可能性の祭典」だと思います。パラアスリートが見せる想像を超えるパフォーマンスは、人々の意識を変え、私たちが持っている可能性を開くきっかけにもなります。

山口 同感です。非常に大事な視点ですね。

河合 互いに生かし合う社会こそ
山口 バリアフリー促進 隅々まで

河合純一氏

河合 英語のimpossibleは「不可能」との意味ですが、iとmの間にアポストロフィーを入れると、I’m possible、「私はできる」になる。要するに、発想を転換すれば「できない」は「できる」になるのです。そのことが子どもたちに届けば、10年、20年先の未来を変える力になると信じています。

山口 昨年のラグビーワールドカップでは、日本のおもてなしの精神が後世に受け継ぐべきレガシー(遺産)として注目されました。東京大会のレガシーをどう考えますか。

河合 パラリンピックを通じて、真の共生社会を築く一歩にすることだと思います。「共生」とは、お互いの良さを生かし合うこと。子どもたちにはよく、ミックスジュースのように個性をつぶして混ざり合うのではなく、フルーツポンチのようにお互いの良さを残し、引き出し合うことだと話しています。

山口 とても分かりやすい例えですね。共生社会の実現に向けて公明党は、バリアフリーに関する法整備を進め、全国に流れをつくってきました。

河合 バリアフリーは一部の人のためではありません。誰もが快適に暮らすための社会インフラと捉えることが重要です。

もしかしたら50年後には、家族や自分自身が車いすなどでの生活になり、何らかの不自由さを感じているかもしれません。だから皆で声を上げ、誰もが利用しやすい駅の整備や街づくりを進めることは、未来への投資につながります。大会までのこの約半年間がとても大切です。

白熱のドラマ再び

山口 まさに、国連が掲げる「誰一人取り残さない」社会の実現こそ、公明党がめざすものです。

東京大会は世界中の人々が触れ合う場となるだけに、言葉や文字だけでなく、点字や手話、字幕などコミュニケーションの手段が自由自在に広がっていく社会づくりの契機にしていきたい。多種多様なコミュニケーションを促進するための法整備も含めて検討していきます。

河合 東京大会でJPCは、全会場を満員にしよう、日本選手団が活躍できる環境を整えようと取り組んできました。自身の経験を振り返っても、満員の観客の中で競技できる喜びはこの大会にしかありません。一人でも多くの選手に「パラリンピックに参加できて良かった」と感じてもらうことが開催国としてこの上ない喜びです。

山口 メダルという結果よりも、そこに至るまでにアスリートの皆さんが刻んできた努力や生き様に私たちは胸を打たれるのだと思います。東京大会から再び、白熱と大感動のドラマがいくつも生まれることを念願しています!

パラリンピック

世界最高峰の障がい者スポーツ大会。夏季、冬季それぞれ4年に一度、五輪終了後に同じ場所で開かれます。1964年、第2回に位置付けられるパラリンピック東京大会で「パラリンピック」という名称が公式資料に初めて使われました。

水泳界のレジェンドメダル21個
かわい・じゅんいち

1975年、静岡県生まれ。92年のバルセロナ大会以来、6大会連続でパラリンピックの競泳に出場し、金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得。国際パラリンピック委員会が偉大な功績を残した選手やコーチをたたえる「パラリンピック殿堂」に日本人で唯一、殿堂入りを果たした“レジェンド”。2児の父親。

 

【動画】【(新春対談)さあ、東京五輪!壁破る挑戦、未来変える力に】

公明新聞のお申し込み

公明新聞は、激しく移り変わる社会・政治の動きを的確にとらえ、読者の目線でわかりやすく伝えてまいります。

定期購読はこちらから

ソーシャルメディア