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校舎が“伝える”原発災害の実相
福島大学、桜美林大学がフィールドワーク
学生が建物の保存・活用を考える
福島・大熊町「中間貯蔵施設」に残る旧熊町小学校
東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域を擁する福島県大熊町。除染作業で発生した除去土壌を一時保管する中間貯蔵施設の敷地内には、旧熊町小学校が“あの日”のまま残り、突然の避難を余儀なくされた原発災害の実相を無言で語り掛ける。同校を震災遺構として保存・活用する方途を探ろうと福島大学と桜美林大学の学生たちが9日、フィールドワークを行った。津波と原発事故の語り部である木村紀夫さん(60)の案内で現場を訪れた模様を伝えるとともに、主催した福島大学地域未来デザインセンターの藤室玲治特任准教授に話を聞いた。=東日本大震災取材班
木村さんは震災当時、大熊町に住んでいた。海から200メートルの場所にあった自宅は2011年3月11日の大津波で流される。次女の汐凪さんは当時、熊町小学校1年生。学校は高台にあり津波の被害はなく、隣接する児童館の学童保育で待機していた。だが、木村さんの父・王太朗さん(当時77歳)が汐凪さんを引き取り、車で避難中、津波に襲われた。翌12日、全町避難が発令され、消防団の捜索活動が打ち切られた。木村さんは「津波の後も2人は生きていて、原発事故がなければ助けられたのでは……」とも考える。
妻の深雪さん(当時37歳)と王太朗さんの遺体は11年4月に発見された。だが、汐凪さんは見つからない。木村さんの自宅跡は帰還困難区域内で、立ち入り許可を申請し、ボランティアの協力も得ながら土を掘り返し、16年12月に遺骨の一部が発見された。木村さんは現在も、残る遺骨を探し続けている。
■わが子の学びや
“あの日”のままの教室が残る熊町小学校を木村さん(手前から2人目)の案内で訪れた学生たち=9日 福島・大熊町
フィールドワークの当日、14人の学生と教員6人は、木村さんと共に立ち入り申請をした上で、中間貯蔵施設のエリアを視察。旧熊町小学校を訪れた。
「この教室は、1年2組。前から3番目、手前から4列目の席に青色の絵本『こびとづかん』があるでしょ」「辞書に付箋がいっぱいはさまっていて……。娘の汐凪が勉強していた教室です」
木村さんが学生らに語り掛ける。ガラス越しの教室の中には、筆洗いバケツやプリントなど「3.11」当日の光景がそのまま広がっていた。
げた箱に目をやると、児童の靴が散らばっている。「あの日、子どもたちは上履きのまま避難し、学校には戻れなかったんです」。木村さんが言葉を続けると学生たちはメモを取り、スマホで撮影し“あの日”の出来事に思いをはせていた。
■震災で家族亡くした木村さんの後悔“わが事”として「語り継ぎ」
福島大学の学生が木村さん(右奥)の体験の「語り継ぎ」に挑戦した=9日 福島・富岡町
現地視察の後は福島大学・相双地域支援サテライト(富岡町)でワークショップを行った。同大学地域未来デザインセンターは昨年から、木村さんの「震災の経験と教訓」を“未経験”の学生が自ら考え、自分の言葉で語り伝える「語り継ぎ」に取り組んでいる。
同大2年の大堀真拓さん(20)は「熊町小学校の子どもたちは朝、辞書引き競争をしていました。汐凪さんは『こびとづかん』から辞書を引いたと想像できます」と“木村さんの語り”から自身で言葉をつむぐ。そして「熊町小学校は木村さんが汐凪さんを思う大切な場所。住民には思い出を振り返る場所。そして、関わりのない人でも『小学校の教室』だから震災当時を想像しやすいと思います」と結んだ。
■「たられば」の教訓
木村さん(左端)の自宅跡近くで津波の被害状況を聞く=9日 福島・大熊町
「震災前に避難先を決めていれば家族は犠牲にならなかったのでは」「なぜ父は安全な場所にいた汐凪を連れ帰ったのか。学校が引き渡さない選択をしていたら」「福島に津波は来ないと思っていた。貞観地震津波(869年)、慶長三陸津波(1611年)など災害の歴史を知っていれば」
木村さんは自身の“後悔”を教訓として学生たちに強く訴えた。そして「今後、災害が起きたとき誰も犠牲にしないため、自分には何ができるのか。日常生活の中で考えてほしい」と望んだ。
参加者の1人、福島大学2年の関根結彩さん(20)は高校生の時、木村さんが汐凪さんを捜す姿を報道で見て震災や防災への関心を抱き、同大へ進学。災害ボランティアとして災害公営住宅で住民と交流したり能登半島地震の支援に赴いた。
関根さんは「現場を見ることで原発災害をより深く知ることができた。次の世代に伝えるために校舎は保存してほしいし、私自身も学びを深めたい」と話していた。
桜美林大学の堺完助教は「学生が災害を“わが事”と捉える機会となった。課題解決と実践力を培う場として継続できれば」と語った。
■「学校」は住民の心の故郷/福島大学地域未来デザインセンター 藤室玲治特任准教授
熊町小学校は、大熊町出身の人にとって思い出を共有できるコミュニティーの象徴だ。町民は避難先が異なり震災後は共通する思い出が少ない。建物が取り壊されれば、人々は再び故郷を奪われたと感じるだろう。
教室の中を見ると2011年3月11日にタイムスリップした感覚になる。突然、時間が止まったような光景からは、原子力災害の恐ろしさが、ひしひしと伝わる。
原発事故は福島だけの問題ではない。東京に電力を供給してきた東京電力福島第1原発の事故であることを首都圏の人たちは忘れないでほしい。
さらに「原発」は国のエネルギー政策であり、日本全体の問題だ。45年3月までに県外での最終処分が法律で決まっている中間貯蔵施設の除去土壌も全国的に関心を持ってもらいたい。
もうすぐ3.11から15年の節目を迎えるが大半の大学生は震災の記憶がない。経験と教訓を若い世代に継承し、福島の正しい情報を発信し続け、復興を前に進めたい。










