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2019年11月19日

問題解決へ共に歩む

ハンセン病救済と公明党 
政治変えた01年 政府の控訴断念 
家族補償法制定の道開く

家族補償の基本方針決定を家族訴訟原告団のメンバーらと喜び合う公明党の高木(美)氏(中央)と山本博司参院議員(左隣)=10月24日 参院議員会館

偏見や差別に苦しんできたハンセン病の元患者家族に対する補償金支給法が、15日に成立した。ハンセン病を巡って公明党は、かつて元患者らが国に賠償を求めた訴訟で2001年に政府の控訴断念を主導。今回の家族補償に至るまでの支援の流れをつくってきた。公明党のこれまでの取り組みについて、関係者のコメントを交えて紹介する。

ハンセン病を巡る主な出来事

“人生被害”に遭ってきた

「私たちは“人生被害”に遭ってきた。補償金は1人当たり最大180万円だが、国が被害を認めて支払うという意味で値打ちがある。原告以外の家族にも広く補償する形にしたことは大変ありがたい」。ハンセン病家族訴訟原告団の黄光男副団長は家族への補償について、こう述べる。

今回の補償は、元患者の家族らが起こした訴訟で熊本地裁が国に賠償を命じた今年6月の判決を受けたものだ。政府が控訴を断念し、超党派の国会議員懇談会が補償内容の基本方針を決定した。

辞表を懐に忍ばせて

ハンセン病原告団(左側)に対し、厚労相として深々と頭を下げ謝罪する坂口氏(右から2人目)=2001年6月1日 厚労省

「家族訴訟の控訴断念は、公明党が力を尽くした01年の控訴断念がその道を開いたことは言うまでもない」。こう語るのは家族訴訟原告団の竪山勲顧問だ。ハンセン病によって13歳で国立療養所に強制入所させられ、それがきっかけで家族が離散した経験を持つ。

ハンセン病は非常にうつりにくく、1940年代には有効な治療薬も登場した。にもかかわらず、日本では96年に「らい予防法」が廃止されるまで90年近く隔離政策が続き、偏見・差別が助長されてきた。

98年に竪山さんら療養所入所者は、国に賠償を求める初の訴訟を熊本地裁に提起。2001年5月の判決で隔離政策は違憲と判断され、原告が勝訴した。

しかし、政府は通例に従って控訴の構えを見せる。この時、公明党の坂口力厚生労働相(当時、現党特別顧問)は“役人という役人が反対”という中、辞表を懐に忍ばせながら「控訴断念」を強く主張した。公明党も党を挙げて政府に要請した結果、小泉純一郎首相(当時)は控訴断念を決断。同年6月には、入所者らに対する補償金支給法が成立した。

坂口氏は「公明党は人権の尊重を高く掲げた党だ。ハンセン病に対しても、人権無視があれば正すべきだという思いが強かったことが、当時の私を突き動かした。首相が『控訴する』と言ったら辞表を出す覚悟だった」と振り返る。

その後も公明党は、08年に元患者らの福祉の増進や名誉回復を進める「ハンセン病問題基本法」の成立を推進するなど、元患者らと共に歩んできた。

新しい啓発の出発点

今後も歴史語り継ぎ、元患者の生活を支援

一方、今後の課題もある。全国14カ所の療養所にいる平均年齢85歳超、約1200人(今年5月現在)の入所者のケアに加えて、今回の家族補償対象者への周知、そして、家族訴訟の判決でも指摘された人権啓発活動・教育の強化だ。

全国ハンセン病療養所入所者協議会の藤崎陸安事務局長は「ハンセン病問題は後世に伝えるべき歴史だ。われわれが死んだら終わり、では困る」と指摘。家族補償は「新しい啓発の出発点だ」と力説する。

公明党の高木美智代厚労部会長(衆院議員)は「痛切な反省の上に立って、国が人権を踏みにじった歴史と事実が語り継がれるよう、当事者の視点に立った啓発事業の展開に取り組む。また、元患者が最後まで安定した生活が送れるよう支えていく。公明党は元患者と家族に寄り添い続ける」と決意を固める。

竪山さんは次のように訴える。「ハンセン病は超党派で取り組む問題であり、さまざまな課題で合意をつくり上げるには、与党の一翼を担い、『大衆とともに』の精神で国民生活を良くしたいという信念をぶれずに掲げてきた公明党の力が必要だ。いつまでも私たちと共に歩んでほしい」

ハンセン病

「らい菌」によって主に皮膚や末梢神経が侵される感染症。治療薬がない時代は体の一部が変形するなどの後遺症を残すことがあった。現在は発症自体がまれであり、早期発見と適切な治療によって、後遺症を残さずに治るようになっている。

 

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