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<手記>日中教育文化交流で訪中して
両国の繁栄へ信念を共有
清華大学、天津日本人学校を訪問
山口那津男常任顧問
公明党の山口那津男、石井啓一の両常任顧問は、日中教育文化交流のため、4月28日から30日の日程で中国を訪問した。今回の訪中について山口常任顧問が手記を寄せた。
天津日本人学校の児童生徒らと交流する山口、石井の両常任顧問ら=4月29日 天津市内
去る4月28日から30日にかけて、石井啓一常任顧問らと共に中国を訪問し、北京と天津で教育文化交流を行った。
28日は北京の清華大学を訪問した。2018年に次いで2度目となる。この間、訪日した同大学関係者と毎年のように交流を重ねており、コロナ禍でもオンラインで対話を継続してきた。
今回は、114年目の創立記念日に7000人もの卒業生が訪れた興奮が冷めやらぬ中、16年に設立された「蘇世民学院」(シュワルツマン学院)に案内された。旧知の邱勇中国共産党委員会書記(前学長)と会談し、日中国交正常化後に初めて中国人留学生を創価大学が受け入れて今年で50年となることに触れ「両国の教育学術交流が厚みを増すことが安定と繁栄につながる」との認識で一致した。
29日は天津に移り、まず天津日本人学校を訪れた。授業参観後、児童生徒たちが講堂で移動記念校歌「この空」を元気よく合唱してくれた。移動記念とは、かつて私が18年に訪問した折、老朽化した旧校の立ち退き要求に苦慮していることを聞き、当時の天津市トップに格別の配慮をお願いしたところ、新校舎への移転が実現したことに由来する。
私はあいさつの中で、当時のトップが語った「日中友好は偉大な事業です。非常に高いビルを建てるようなもので、一つ一つ積み上げていかないといけません」との言葉を紹介し「校歌を歌うたびに空でつながった日本と中国を、天津で学んだ皆さんが友好を広げる役割を担ってほしい」と結んだ。校長や運営理事会代表は、天津の治安当局と緊密な連携が取れており、安全安心が確保されていると報告した。
日中友好「金の橋」強固に
周恩来鄧穎超記念館を訪問
周池会談の日本画「金の橋」を描いた福田氏(左から2人目)と記念写真に納まる(中央右から)山口、石井の両常任顧問ら=4月29日 天津市内
続いて周恩来鄧穎超記念館へ。周恩来元首相と公明党創立者の池田大作・創価学会第3代会長の会談(周池会談)から45年を記念し、19年に寄贈した「金の橋」と題する日本画の作者・福田千惠氏(日本芸術院会員)も同行しての初訪問である。嫁いだ子に再会した母親のような心境で絵を指さしながら、作画に込めた思いを周囲の人たちに語りかける姿が印象的だった。
病床にあった最晩年の周元首相は、若き池田会長に中日平和友好条約の締結を強く促した。私は締結から今年で47年を迎えるに当たり、日中は互いに脅威とならずとの条約の精神を改めて深く胸に刻み「金の橋」を永遠ならしめる年としなければならないと、張彩欣館長に意義を伝えた。
夕刻には、現在の天津市トップである陳敏爾中国共産党委員会書記と会談。天津日本人学校に対するこれまでの配慮に謝意を述べ、周池会談の日本画贈呈の経緯と記念館訪問の意義を伝えると、陳書記は公明党と天津市との教育文化交流を称賛した。
最終日の30日は、中国共産党中央対外連絡部(中連部)の劉建超部長との会談に臨んだ。私からは、今回の教育文化交流は中連部のご高配により中身の濃い充実したものであったこと、先の斉藤鉄夫代表らの訪問や日中友好議員連盟の訪問など三つの謝意を伝えた。これに対し、劉部長は対話交流の継続を望んだ。
私は政党間交流は政治対話に加え、教育文化スポーツなど幅広さと厚みをつくる役割があることを述べ、今後も若い世代に交流を引き継いでいくことを約した。