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「共有できる価値観」を取り戻す中道政治の原点に還れ(上)
先崎彰容・日本大学危機管理学部教授に聞く
『本居宣長』『国家の尊厳』などの著作で知られる日本大学の先崎彰容教授は、「公明党は結党本来の理念を熱を入れて語るべき」と指摘する。公明党が掲げる中道政治への期待と共に、時代の閉塞感が強まる中での政治の役割を語ってもらった。【月刊「公明」12月号から上下2回に分けて転載。見出しは公明新聞】
――「公明党が掲げる中道の意義がよく分からない」との若い支持者の声もある。公明党の中道をどう考えるか。
先崎彰容・日本大学教授 公明党の一般的な印象は、連立政権内で政策上の“微調整”を担う良識ある政党だろう。その存在感をもって、世間では公明党を中道政党だと捉えている。ところが、近年、公明党が結党以来掲げてきた中道の理念を感じることが少なくなったと思う。
そもそも、公明党の歴史は、戦後日本の姿を象徴的に体現してきた。敗戦後の日本は、まず、貧しさにあえぐ国民に日々の糧を確保することから出発した。虚脱感の中で、人々に前を向くことを説き、貧しくとも、「もう一つの自分」を発見し、役割を与えられ、生きる意味を見いだすこと、そして、何より日本を良くすること。辻立ちし、国民に語りかける。この泥臭さが公明党ではなかったか。そして国際政治に関しては、「現実的平和主義」をめざしていたのではなかったか。
一例は日米関係である。ウクライナ戦争中、米国は「民主主義サミット」を開催し、同盟国を招聘したが、極めて強引な手法で参集させられた国もあった。こうした米国の手法に対し、強引な部分を“微調整”することで日米同盟をより建設的にする。そして日本の発言権を国際社会で強める。民主主義の健全な運営をめざす。これこそ公明党にしかできない役割ではないか。
ところが、現在の公明党からは平和の党を理念として掲げながらも、以上のような戦略的な国際関係論が聞こえてこない。民主主義を着実に軌道に乗せることが、結果的に日本のプレゼンスを高めるという戦略がない。「平和の党」の看板が、空想的平和主義に陥っているとすれば、それは国民の関心につながらない。つまり心に刺さらない言葉しか紡げていない可能性がある。
■公明には、国内外への「繊細さ忘れない」対応進める役割が
――与党になって公明党らしさを失っているとの声もあるが。
先崎 その批判は、ある意味では的外れだ。本誌(月刊「公明」)9月号で太田昭宏・公明党常任顧問が結党60年を振り返っている。この中で、池田大作・創価学会会長(当時)が示した「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいっていただきたい」との立党精神を、太田顧問は立宗宣言ならぬ“立党宣言”だと答えている。
つまり、公明党は結党の原点から考えても、個人の幸福を実現するためには、社会全体を良くしなければならないとの立場であり、そもそも与党でなければ実現できない。「政策調整」と聞くと、自民党の提案に対し、“微調整”をすることで自己権力の維持に努めているように見えてしまう。この状況から公明党は抜け出し切れていない。
しかし先にも述べているように、国際社会は“微調整”の世界である。そして“微調整”こそ、日本が得意とし、また国際的プレゼンスを高めるチャンスのある場所である。だとすれば、公明党は自らこの点を意識して、外交政策をはっきりと打ち出せばよいではないか。「自民党さん、あなたたちは米国の外交政策のウイークポイント(弱点)が分かっていません。私たちはこう提案することで、その弱点を突きながら、結果的に国益を増すことができるのですよ」と言えばいい。しかも、その提案から「土の匂い」「大衆の声」が聞こえてくれば、公明党の立党の理念を完全に実現できるはずだ。
しかし先にも述べているように、国際社会は“微調整”の世界である。そして“微調整”こそ、日本が得意とし、また国際的プレゼンスを高めるチャンスのある場所である。だとすれば、公明党は自らこの点を意識して、外交政策をはっきりと打ち出せばよいではないか。「自民党さん、あなたたちは米国の外交政策のウイークポイント(弱点)が分かっていません。私たちはこう提案することで、その弱点を突きながら、結果的に国益を増すことができるのですよ」と言えばいい。しかも、その提案から「土の匂い」「大衆の声」が聞こえてくれば、公明党の立党の理念を完全に実現できるはずだ。
今日、社会的風潮として、徹底した個人主義化が進み、自分さえ救われれば他人はどうなってもよいとの思想や風潮がまん延している。だからこそ、公明党は、「公的な事柄に参加することこそ、人間の生きがいである」という理念を主張すべきだと思う。公明党自体が、まず、自分の生きづらさ、苦難を乗り越えるために宗教を重んじ、その上で、社会を良くするという公的関心からつくられた党だったはずだ。宗教的なものは、決して個人主義を助長するためにあるのではない。戦後日本を立て直すために、つまり公的なもののためにあったはずである。今こそ原点に還るべきだ。
何のために公明党を支援しなければならないのだろうと逡巡する人も少なくないと聞く。ただ、この点に対する応答として公明党側ができるのは、「中道政治とは、つまり、言いかえれば、国際社会および国内問題に対し、繊細さを忘れないこと」を強調し続けることだと思う。
ちなみに、私は拙著『国家の尊厳』で論じたが、日本人のアイデンティティーは「戦後民主主義」や「カネ」では満足させることができないと考えている。公明党も、人間の複雑な心の中を、こうした出来合いの価値観で満足させられないことは、よく知っているだろう。
■「大衆とともに」は立場や思想信条を超えたあらゆる人を包摂
――著書の『バッシング論』で自らの思考や行動の判断基準が曖昧な社会で「大きな物語」を語ることは、かえって社会を不安定化すると指摘している。
先崎 “SDGs推進が日本の明るい未来を切り開く唯一のビジョン”といった主張が「大きな物語」と呼ぶべきものだ。公明党が掲げる中道の政治哲学とは次元が違う。
太田顧問と議論した際、語ってくれたことが印象に残っている。太田顧問は「昔の公明党の政治家からは、土の匂いがしたんだよね」と絶妙な表現をしていた。リベラル的な表現で言えば、市民と共闘してきた政治家といったところだろう。しかし、「土の匂いがした」との表現には“大衆”と共闘してきた自負が込められている。そもそも「大衆とともに」の立党精神がそうだ。政治的共同体としての市民ではなく、立場や思想信条を超えてあらゆる人々を包摂した大衆だ。
今の自民党は2世、3世議員が大半で分かりにくいが、本来は公明党と同じように土の匂いがする議員ばかりの地方の政党だった。田中角栄元首相がそうだったし、野中広務元幹事長など個性豊かな議員が多くそろっていた。それぞれが泥の中から、血眼ではい上がってくるような選挙戦で鍛えられていたからだ。選挙戦の過酷さ自体は今も昔も変わらないにしても、深刻な課題を抱える地方が地盤なのに、どこか都市部のエリート然とした雰囲気の議員がなぜ多いのかを自民党執行部は真剣に悩まないといけない。そして公明党自身が自問自答せねばならない。
よく言われるように、貧困問題が非常に深刻化している。学問風に言えば、社会的包摂が問われる時代である。自民党と公明党は本来、社会的包摂を担う役割を期待されているが、参政党やれいわ新選組は自公がその責任を果たしていないと強く批判する。同様の問題を抱える欧州では、極右政党が大躍進し、米国でも極右思想とでもいうべきトランプ旋風が吹き荒れている。私は参政党が注目を浴び始めた時に「やはり日本もこういう党が出てきたか」との感想を抱いた。“地方の政党”の自民党だったら少数の声や怨嗟を拾い上げることもできただろうが、「大きな物語」を語ることに熱心な現在の自民党には、社会の本質が見えていない。公明党はその流れに歯止めをかけるべき立場ではないのか。
今の時代状況は、政治腐敗がまん延した戦前に匹敵すると考えている。こうした状況は、やがて極端なテロリストを生み出す。極めて独善的正義観に駆られた人が、マスコミに踊らされ、政治家や官僚の腐敗を糾弾するだろうし、実際には既に起こっている。もっと地に足の着いた語りこそが必要だ。
せんざき・あきなか
1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科日本思想史博士課程修了。政府給費留学生として、フランス社会科学高等研究院で学ぶ(国際日本学)。東日本国際大学東洋思想研究所教授を経て現職。専門は日本思想史。『批評回帰宣言』『違和感の正体』『高山樗牛』『未完の西郷隆盛』など著書多数。









