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コラム「北斗七星」
「共生社会」という言葉をよく目にする。パリで熱戦が続くパラリンピックは、それを理念に掲げる障がい者スポーツの祭典だし、国内でも国や自治体でさまざまな対策のキーワードとなっている◆言葉の使われ方が過剰気味だとも思う。文字通り“共に生きること”が難しい社会になっている裏返しなのだろう。「多様性を尊重する共生社会」と表現されることもある。しかしそれは「人それぞれの社会」と決別するものでなければならない◆早稲田大学の石田光規教授は著書『「人それぞれ」がさみしい』で指摘する。「私たちは、お互いの意見が対立やぶつかり合いに発展するまえに、『人それぞれ』という優しさの呪文を唱えて、お互いの干渉を回避している」◆昔に比べ、煩わしい人間関係に頼らなくても生きていける。個人の選択の自由度も広がった。でも結果の責任はダイレクトに自分にのしかかる。「一見、寛容な『人それぞれの社会』は、結果としての不平等を見過ごす冷たい社会でもある」(石田教授)◆驚くことに若者の間でも孤独死が広がっている。「人それぞれの社会」は深刻だ。社会につながりとぬくもりを取り戻すため、政治の現場で公明党がリードしたい。(花)