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体育館(避難所)で支え合った仲間とともに 生活再建つかむ
能登地震発災6カ月
「何度も足運ぶ公明党は温かく心強い」
石川・輪島市 高木雅啓さん
能登半島地震から半年。住まいも仕事も奪われ、今なお先が見通せなくとも、周囲を励まし、前に進む人たちがいる。激震地・石川県輪島市の高木雅啓さん(64)は、市内の学校体育館で避難所生活を送ってきた。6月下旬、仮設住宅の入居先が決定。体育館を後にし、新たな一歩を踏み出した。支え合った仲間とともに、生活再建を果たす日をめざして。=能登半島地震取材班
半年間の避難所生活で奮闘した高木さん(左から2人目)と妻・正子さん(左隣)=6月中旬 石川・輪島市
6月中旬の真夏日、40人が身を寄せる河井小学校の体育館を訪ねると、屋外の日陰で談笑する高木さんがいた。「外は風が吹いて気持ちがいいです」。表情には疲労の色も濃い。周囲の人が気遣って言う。「あんた、いつ寝とるんや」
高木さんは元日の地震で自宅が全壊。家族と駆け込んだ体育館は水も電気もなく、一時は120人が同居した。備蓄の簡易トイレはすぐに汚物であふれた。高木さんは連日、プールの水でトイレを洗い、汚物をビニール袋に入れ、ごみ捨て場まで何度も往復。その後ろ姿に多くの人が続いた。
「何カ月も一緒に生活しとったら家族も同然。一人一人ができることを見つけて助け合いました。私は感謝を伝え続けただけです」
避難所には体の不自由な高齢女性も。その女性は、高木さんの妻・正子さん(65)の支えで、皆の朝食用の支援物資を机に準備するのが毎朝の日課だ。“誰かの役に”との心根から思いも寄らない力が湧き、自力で歩けるようになった。「おばあちゃんの笑顔に、みんなも元気をもらいました」と正子さんは笑う。
半年間の避難所生活を振り返り、高木さんは断言する。「何度も足を運んでくれたのは公明党だけ。本当に温かくて心強かった」
輪島市に公明議員はいないが、110キロ離れた金沢市から公明市議と県議が通い続けている。国会議員も頻繁に訪問。高木さんから避難所の課題を聴き、駐車場確保や、罹災証明書の早期交付などが形になった。
孤立者を出さない
隣の段ボールベッドで寝起きした多賀美太郎さん(65)は、「人に尽くすことを高木さんに教わった」と言う。二人は現在、避難者同士のグループLINEを作り、情報交換に努めている。別々の仮設住宅に移った後もコミュニティーを維持し、「孤立者を出さない」と決めている。
市内では河井小を含む21カ所の避難所で今も380人が生活し、仮設住宅への入居を待つ(6月27日現在)。県・市は8月中に必要戸数全ての完成をめざし、順次、避難所を閉鎖する。
仮設住宅に移り生活再建の一歩を踏み出した高木さん夫妻=6月27日 石川・輪島市
高木さんも6月下旬から仮設住宅へ荷物を運び始めた。「半年間、いつも陰で支えてくれました」。避難所運営を支援する青年海外協力協会の上野早騎さんは、感謝の言葉で見送った。
高木さんの職業は、輪島塗の装飾を手掛ける蒔絵師。正子さんと二人三脚で40年以上、この道一筋だ。自宅の工房は再建のめどが立たないが、取引先は夫妻の腕を頼みにし、仕事の再開を待ち望んでいる。仮設の入居期間は原則2年。「それまでに足掛かりをつくり、元の生活と仕事を必ずつかみ取りたい」。目標を見据える瞳に闘志が光った。